「大津城」

■城名
大津城

■所在地
滋賀県(近江国滋賀郡大津)

■称号

■別名

■築城年
1586年(天正14年)

■築城者
浅野長政

■主な改修者

■主な城主
浅野長政・増田長盛・新庄直頼・京極高次・戸田一西

■天守

■天守構造

■城郭構造

■城分類
平城

■縄張り
現在の滋賀県大津市浜大津、京阪電鉄びわ湖浜大津駅周辺一帯にあった水城
二の丸・三の丸は内陸側にあり、本丸は当時の琵琶湖岸に面し、共に港の機能を担っていたが、現代の大津港はその沖側を埋め立てて建設されている。
関ヶ原の戦いでは激しい城の攻防戦が行われた。

■歴史
1586年(天正14年)、豊臣秀吉は坂本城を廃城とし、浅野長政に命じて新たに築城された。
その後、城主は増田長盛、新庄直頼と代わり、1595年(文禄4年)に京極高次が城主となり6万石を与えられた。
「大津城の戦い」
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで高次は東軍に属し大津城に籠城した。
大津城はもともと琵琶湖の水運を利用して美濃、越前方面から運ばれてくる物資を安全に保管するための城郭であり、攻防戦には不向きであった。
9月7日より毛利元康・立花宗茂ら西軍1万5000に城を囲まれ攻防戦が開始された。
これに先立ち、京極軍3000は12時間かけて城下を焼き払い、町は荒野と化した。
京極軍は家臣赤尾伊豆守、山田大炊以下、奮戦し、7日間持ち堪えたが、9月13日からは近くの長等山から大砲で砲撃を受け、砲弾は眼下に落ちるような勢いで天守その他の建築物を破壊し、城内が混乱した間隙を縫って立花軍が二ノ丸までを占拠した。
北政所の側近孝蔵主と高野山の木食応其の仲介による講和が成立する。
9月14日に降伏開城した高次は園城寺に入り、剃髪して高野山に上った。
西軍1万5000を大津城に釘付けにした功績は大きく、戦後、徳川家康は高次を召しだし、若狭小浜城8万2000石に加増転封させた。

■見どころ

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