■城名
大津城(おおつじょう)
■所在地
滋賀県大津市浜大津
■見ごたえ
★★
■築城年
天正14年(1586)
■廃城年
慶長6年(1601)
■築城者
浅野長政
■主な城主
浅野氏、増田氏、新庄氏、京極氏
■天守
非現存
■天守構造
望楼型[4重5階/1586年頃/解体]
■城分類
水城
■遺構
石垣
■歴史(ChatGPTより)
大津城 は、現在の滋賀県大津市浜大津周辺に存在した水城であり、豊臣政権から関ヶ原合戦期にかけて重要な役割を果たした城である。琵琶湖に面して築かれたこの城は、軍事拠点であると同時に湖上交通を掌握する物流拠点でもあり、近世初頭の大津を象徴する存在であった。
築城は1586~1587年頃、 豊臣秀吉 の命によって行われた。秀吉はそれまで琵琶湖西岸に存在した 坂本城 を廃し、新たに湖岸に近い大津へ城を築かせた。築城を担当したのは 浅野長政 である。これは単なる城の移転ではなく、豊臣政権が琵琶湖水運を直接掌握するための政策でもあった。大津は古来より東国と京都を結ぶ交通の要衝であり、北陸や美濃方面からの物資が集まる重要地点だった。大津城はそうした流通物資や年貢米を管理する拠点として整備されたのである。
城は湖岸に本丸を置き、二の丸・三の丸を内陸側に配した構造を持っていた。本丸は直接琵琶湖に面して港として機能し、船による物資輸送と軍事行動の双方に対応していた。現在の大津港付近がその中心であり、現代では埋め立てによって当時の湖岸線は失われているが、往時はまさに“湖上の城”であった。
歴代城主には浅野長政の後、 増田長盛、 新庄直頼 が続き、1595年には 京極高次 が入城した。高次は関ヶ原合戦の際、大津城を舞台に歴史的な籠城戦を繰り広げることになる。
1600年、関ヶ原の戦いが始まると、高次は東軍に属して大津城に籠城した。これに対し西軍は、 毛利元康 や 立花宗茂 ら約1万5000の兵で大津城を包囲する。対する京極軍は約3000。圧倒的劣勢であったが、高次は徹底抗戦を選んだ。戦いに先立ち城下町を焼き払ったため、大津は一面の焼け野原となったという。
大津城は石垣が低く、防御力に優れた城ではなかった。しかし京極軍は奮戦し、西軍を足止めした。やがて西軍は長等山から大砲を撃ち込み、天守や櫓を破壊した。激しい砲撃は京都にまで響き渡り、市民の中には弁当持参で見物に訪れる者までいたという逸話が残るほどである。
最終的に高次は降伏するが、この籠城によって西軍主力を長期間拘束した功績は極めて大きかった。その結果、東軍は関ヶ原本戦を有利に進めることができたとされる。戦後、 徳川家康 は高次を高く評価し、若狭 小浜城 へ加増転封した。
その後、大津城は廃城となり、代わって 膳所城 が築かれた。大津城の建築部材は各地へ移され、特に 彦根城 天守には大津城天守の用材が転用された可能性が高いとされている。こうして大津城は姿を消したが、その存在は豊臣政権の水運支配、そして関ヶ原前哨戦の舞台として、日本史に大きな足跡を残している。
■場所
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■城巡り記録
2026年4月29日

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