「多賀城」

■城名
多賀城

■称号
日本100名城

■別名
多賀柵

■築城年
724年(神亀元年)

■築城者
大野東人・大和朝廷

■主な改修者

■天守

■天守構造

■城郭構造
古代城柵

■城分類
平山城

■縄張り
外郭は東辺約1000m、西辺約700m、南辺約880m、北辺約860mの築地塀や柵木列がめぐる政庁域が確認された。

その中心からやや南寄りに東西約106m、南北約170mの築地塀で囲まれた区域があり、主要な建物の跡と見られる礎石や柱穴が多数確認され、正殿と考えられた。

■歴史
奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀中頃までの東北地方の政治・軍事・文化の中心地であった。
奈良平城京の律令政府が蝦夷を支配するため、軍事拠点として松島丘陵の南東部分である塩釜丘陵上に設置した。
平時は陸奥国を治める国府(役所)として機能した。
延暦21年(802) – 坂上田村麻呂が蝦夷への討伐を行い、戦線の移動に伴って鎮守府も胆沢城(岩手県奥州市)へ移されて、兵站的機能に移ったと考えられる。
貞観11年 (869)- 陸奥国で巨大地震(貞観地震)が起こり、地震被害とともに城下は津波によって被災し、溺死者を千人ばかり出している(『日本三代実録』)。この後、「多賀国府」として復興した。

■見どころ
政庁跡、築地跡、門跡、土塁、横堀

■100名城スタンプ
多賀城管理事務所

■情報
「東北歴史博物館」
https://www.thm.pref.miyagi.jp/taga_tour/castle/

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202006/20200608_11008.html

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