「白河小峰城」

■城名
白河小峰城

■称号
日本100名城、東北三名城

■別名
小峰城、白河城

■築城年
1340年

■築城者
結城親朝

■主な改修者
丹羽長重

■天守
木造復元天守

■天守構造
三重櫓(複合式層塔型3重3階 1632年築・1991年木造復元)

■城郭構造
梯郭式

■城分類
平山城

■縄張り
・阿武隈川と谷津田川の間に位置する、小峰ヶ岡という丘陵にあった平山城
・東北地方では珍しい総石垣造りの城”

■歴史
・南北朝時代の興国元年/暦応3年(1340年)に結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされる
・天正18年(1590年)、城主の白河結城氏が豊臣秀吉の奥州仕置により改易されるとこの地は会津領となり、蒲生氏、続いて上杉氏、再度蒲生氏が支配したが、寛永4年(1627年)に丹羽長重が10万石で棚倉城(福島県棚倉町)から移封されると、幕命により寛永6年(1629年)より城郭の大改築に着手、3年の歳月を費やして寛永9年(1632年)に完成した。
・寛政の改革で知られる松平定信をはじめ、7家21代の大名が居城した
・戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、5月1日、大半を焼失し落城した(白河口の戦い)。”
見どころ “御三階櫓​
・1632年(寛永9年)に建てられた複合式層塔型3重3階の櫓で、当時は「三重御櫓」と呼ばれた実質的な天守であった
・三重櫓は木造復元された城郭建築のうち、天守に相当する建物の復元では最初のもので、現在でも数少ない木造復元天守の1つである。戊辰戦争の激戦地となった松並稲荷山の杉を使って復元をしており、中に入り柱をみると弾傷が確認できる。

瓦の文様は、松平定信の家紋である梅鉢である。
石垣
さまざまな大きさの石を積んだ乱積を用いている。石垣は地場産の白河石。火に弱く、火災による劣化が見られる。”

■情報

「白河市」
http://www.city.shirakawa.fukushima.jp/page/page001390.html

明治維新150周年企画 【白河小峰城・二本松城】打ち砕かれた東北の団結力
明治維新の事件の舞台となった城を紹介する、企画連載「維新の舞台と城」。第8回の舞台は、戊辰戦争の勝敗を決定づけた東北の激戦。奥羽の諸藩はなぜ新政府軍に抵抗する道を選んだのでしょうか?

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