「根城」#青森県

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■城名
根城

■所在地
青森県

■称号
日本100名城

■別名

■築城年
建武元年(1334年)

■築城者
南部師行

■主な改修者

■主な城主
根城南部氏

■天守

■天守構造
なし

■城郭構造
連郭式

■城分類
平山城

■縄張り
本丸・中館・東善寺・岡前舘・沢里館の5つの館(曲輪)が連なる連郭式の平山城

■歴史
1333年(元弘3年、正慶2年) 南朝方に属する武将・北畠顕家は陸奥国司として後醍醐天皇の皇子・義良親王を奉じて陸奥国に下向した。
この時、甲斐国波木井の地頭職であった南部師行も供奉し、国代として任じられた。
1334年(建武元年) 師行は、糠部郡八森に城を構えた。師行はここを、南朝方の根本となる城という願いから「根城」と名付けたといわれる。
1338年(南朝:延元3年、北朝:暦応元年) 南部師行は北畠顕家とともに足利尊氏討伐に遠征した。
師行は和泉国石津川(現・大阪府堺市西区浜寺石津町)の地で北朝方の高師直との戦いで顕家と共に戦死した。
師行の死後、弟の政長が跡を継いだ。政長は室町幕府から再三の降伏勧告を受けたが従わず南朝への忠誠を守り続けた。しかし、南朝方が次第に劣勢となると、京から遠く離れた奥州北部の南部氏の勢力も次第に弱体化していった。
1393年(明徳4年) 南部氏8代の八戸政光は本領の甲斐から根城に移って南部氏の再興を図った。この系統は八戸氏とも呼ばれている。
1590年(天正18年) 小田原征伐の際に宗家の三戸城主南部信直は豊臣秀吉の元に帰参して所領の南部7郡を安堵された。
1592年(天正20年)、秀吉の命令により城そのものは破壊されたが館自体は残され、これ以降も八戸氏の本拠であり続けた。
宗家の南部利直は盛岡城を築き盛岡藩を開いた。同時に八戸も盛岡藩領に帰属した。
1627年(寛永4年) 八戸氏22代・直義は利直により遠野城(岩手県遠野市)に移封となり根城は廃城となった。

■見どころ
(遺構)土塁、堀、井戸
(再建)主殿・中馬屋・工房、鍛冶工房・板倉・納屋・東門

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