
■城名
膳所城(ぜぜじょう)
■別名
石鹿城、望湖城
■所在地
滋賀県大津市丸の内町
■見ごたえ
★★
■築城年
慶長6年(1601)
■廃城年
明治3年(1870)
■築城者
徳川家康
■主な改修者
本多俊次
■主な城主
戸田氏、本多氏
■天守
非現存
■天守構造
型式不明[4重4階/1601年築/破却(廃城令)]
■城郭構造
梯郭式
■城分類
平城
■遺構
石垣、移築櫓、移築門
■歴史(ChatGPTより)
膳所城 は、現在の滋賀県大津市に存在した近世城郭であり、琵琶湖に突き出した膳所崎に築かれた美しい水城として知られている。 坂本城、 大津城、 瀬田城 と並び「琵琶湖の浮城」の一つに数えられ、日本三大湖城にも挙げられる名城であった。湖面に映る天守の姿は大変美しく、「瀬田の唐橋、唐金擬宝珠、水に浮かぶは膳所の城」と里謡に歌われるほどであった。
膳所城が築かれたのは1601年、 徳川家康 が関ヶ原の戦いに勝利した翌年のことである。家康は東海道支配の要として、それまでの 大津城 を廃し、新たに膳所崎へ築城を命じた。これは江戸幕府による天下普請第一号とされ、全国の大名を動員して行われた大規模工事であった。築城の縄張りを担当したのは、築城の名手として知られる 藤堂高虎 である。
城は琵琶湖岸の地形を巧みに利用した梯郭式縄張りで、陸続き部分に三の丸、その先に二の丸・北の丸・本丸を連続配置する構造であった。本丸は湖中へ突出し、西隅には4重4階の天守が築かれていた。石垣は湖水の中に直接築かれており、まさに「湖に浮かぶ城」であった。家康がこの場所を重視した背景には、古来より交通・軍事の要衝とされた 瀬田の唐橋 の存在があった。「瀬田の唐橋を制する者は天下を制す」とまで言われ、京都と東国を結ぶ重要地点だったのである。
膳所城には初代藩主として 戸田一西 が3万石で入封し、膳所藩が成立した。その後、 本多康俊、 菅沼定芳、 石川忠総 ら譜代大名が城主を務め、やがて本多氏が13代220年にわたり支配し、明治維新まで続くこととなる。
しかし湖城である膳所城は、美しさと引き換えに維持管理の難しさを抱えていた。1662年の大地震では建物が大きな被害を受け、本多俊次によって本丸拡張など大規模改修が実施された。また、湖波による石垣浸食も深刻で、絶えず補修工事が必要だった。その費用は藩財政を圧迫し、膳所藩の苦しい財政事情の一因となっていた。
明治維新後、膳所城は急速に姿を消す。1870年、廃城令が出されると、天守をはじめとする建物は次々と解体・移築された。跡地には膳所監獄、後の滋賀刑務所が置かれ、近代施設へ転用されたのである。
現在、本丸跡は 膳所城跡公園 として整備され、わずかに石垣が残るのみとなっている。しかし城門の一部は現存しており、 膳所神社 の本丸大手門、 篠津神社 の北大手門、 鞭崎八幡宮 の南大手門は国の重要文化財に指定されている。また、市内には移築された櫓なども残されており、往時の面影を今に伝えている。
膳所城は、徳川政権成立直後に築かれた戦略拠点であり、同時に琵琶湖に浮かぶ優美な湖城でもあった。その姿は失われたものの、近世日本の城郭史と東海道支配を語る上で欠かせない存在となっている。
■場所
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■城巡り記録
2026年4月29日


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