■城名
王城山城(おうじょうやまじょう)
■見ごたえ
★
■城分類
山城
■遺構
曲輪跡、堀、土塁
■歴史(ChatGPTより)
王城山城 は、神奈川県大磯町に所在する中世山城で、高麗山から派生した独立丘陵状の山「王城山」に築かれていた城郭である。標高自体はそれほど高くなく、山容も険しくはないが、山麓を旧東海道が通過しており、古くから交通の要衝を押さえる立地にあった。そのため、小規模ながら戦略的価値を持った城砦だったと考えられている。
現在、王城山へは旧東海道の化粧坂方面から舗装道路が整備されており、山頂近くの貯水施設付近まで比較的容易に到達することができる。山城としては珍しく、急峻な登山を必要としない訪問しやすい城跡である。ただし、この舗装道路や貯水施設の建設によって地形が改変されている可能性があり、往時の縄張りを完全に把握することは難しくなっている。
山頂部には現在、明治天皇関連の石碑が建てられている場所があり、ここが主郭に相当すると考えられている。もし現在貯水施設となっている一段下の平場も本来の郭であったならば、王城山城の中心部は二段構えになっていた可能性がある。しかし、後世の造成による削平の可能性も高く、当初の構造については明確ではない。
この城の最大の見どころは、主郭背後に設けられた大規模な堀切である。藪を抜けて切岸を下ると、山体を深く断ち切る堀切が現れ、尾根筋を明確に遮断している。規模は決して巨大ではないが、山城としての防御意識がはっきりと感じられる遺構であり、王城山城が単なる見張り台ではなく、実戦を想定した城砦だったことを示している。堀切の先には二の郭とみられる平場も存在するが、藪が深く詳細な確認は容易ではない。
また、主郭周辺には腰曲輪も残されている。特に北東側には細長い腰曲輪が確認でき、その内部には竪堀のような溝が見られる。この溝は途中で曲がりながら主郭切岸下へ続いているが、防御施設としてはやや不自然であり、後世の地形改変である可能性も指摘されている。さらに南西側にも段状の腰曲輪群が存在するとされ、比較的丁寧に縄張りが施されていたことがうかがえる。
山麓には「王城ヶ谷戸」や「児ヶ墓」、「堀ノ内」といった地名が残されており、これらは中世城館との関連を想像させる。特に「堀ノ内」という地名は城郭周辺によく見られるものであり、かつてこの地が城域であった可能性を補強している。また、谷筋には旧道の痕跡のような緩やかな地形も見られ、大手道や搦手道の存在を想起させる。
王城山城については、築城者や築城年代を示す確実な史料は残されていない。しかし、その規模や縄張りから、地域を支配した在地領主の詰城であった可能性が高いと考えられている。また、近接する 高麗山城 との関連も想像され、戦国期には相互に連携した防衛拠点であった可能性もある。特に、 北条早雲 が西相模支配を進める過程で高麗山周辺を重視したことを考えると、王城山城もその防衛網の一部だった可能性は十分考えられる。
現在の王城山は静かな里山となっているが、尾根に残る堀切や曲輪は、旧東海道を見下ろしていた中世城郭の記憶を今に伝えている。
■場所
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■城巡り記録
2026年5月9日

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