「丸岡城」@12城目

2019年8月5日

■城名
丸岡城

■所在地
福井県坂井市丸岡町霞

■称号
日本100名城、現存天守6城

■別名
霞ヶ城

■築城年
天正4年(1576年)

■廃城年
明治4年(1871年)

■築城者
柴田勝豊

■主な改修者

■主な城主
柴田氏、本多氏、有馬氏、青山氏

■天守
現存天守

■天守構造
独立式望楼型 2重3階(寛永年間 木造 現存)

■城郭構造
連郭式

■城分類
平山城

■縄張り
福井平野丸岡市街地の東に位置する小高い独立した丘陵に築かれた平山城です。
近世に山麓部分が増築され、周囲に五角形の内堀が廻らされていました。
安土桃山時代に建造されたと推定される天守は重要文化財に指定されています。
その他、石垣が現存しています。
移築現存する建物として、小松市の興善寺および、あわら市の蓮正寺に、それぞれ城門、丸岡町野中山王の民家に、不明門と伝わる城門があります。
ほかに土塀が現存します。
五角形の内堀は現在埋め立てられていますが、この内堀を復元する計画が浮上しています。

「霞ヶ城」の名の由来は合戦時に大蛇が現れて霞を吹き、城を隠したという伝説によるものです。

■歴史
1576年(天正4年) 織田信長の家臣で、越前ほぼ一帯を領していた柴田勝家の甥である勝豊により築城され、勝豊はそれまでの豊原寺城から当城に移りました。
1582年(天正10年) 本能寺の変の後の清洲会議により、勝豊は近江国長浜城に移されました。
代わって勝家は安井家清を城代として置きました。
1583年(天正11年) 柴田勝家が豊臣秀吉によって北ノ庄城で滅ぼされると、この地は丹羽長秀の所領となり、長秀は丸岡城主として青山宗勝(修理亮)を置きました。
1600年(慶長5年) 丹羽長秀死後、領地はそのままに豊臣秀吉の家臣となっていた青山宗勝とその子・忠元は、関ヶ原の戦いで敗者である西軍方につき改易されます。
越前国には勝者の徳川家康の次男・結城秀康が入封し、丸岡城には秀康家臣の今村盛次が2万6千石を与えられ入城しました。
1612年(慶長17年) 今村盛次は越前騒動に連座し失脚します。
幕府より附家老として福井藩に附せられた本多成重が4万3千石で新たな城主となります。
1624年(寛永元年) 福井藩2代目の松平忠直が、不行跡を理由に豊後配流となり、福井藩に減封などの処分が下されます。
同時に本多成重は福井藩より独立。大名に列し丸岡藩が成立します。
1695年(元禄8年) 4代重益の治世、本多家の丸岡藩でお家騒動が起こり、幕府の裁定により改易となります。
代わって有馬清純が越後国糸魚川藩より5万石で入城。以後、有馬氏丸岡藩6代の居城となり明治維新を迎えます。

■見どころ
現存天守、移築門、石垣

天守
北陸地方で現存する天守は丸岡城のみです。
大入母屋の上に廻り縁のある小さな望楼を載せた古式の外観から現存最古の天守とも呼ばれていましたが、福井県坂井市教育委員会の調査で江戸期の寛永年間(1624 – 44年)に建造されたことが判明し、同委員会が2019年3月26日に発表しました。
現在見られる天守は、1948年(昭和23年)の福井地震によって倒壊した後、1955年(昭和30年)に部材を70%以上再利用して組み直して修復再建されたものです。
その際、最上階の窓の造りが引き戸から突き上げ窓(蔀戸)に改変されています。
独立式望楼型2重3階で、1階平面を天守台に余分を持たせて造られているため天守台を被せるような腰屋根が掛けられています。屋根瓦には笏谷石製の石瓦が寒冷地であるという気候事情により葺かれているといわれています。

■伝説
人柱お静
お静慰霊碑丸岡城を築城する際、天守台の石垣が何度も崩れて工事が進行しなかったため、人柱を立てることとなりました。
城下に住む貧しい片目の未亡人「お静」は、息子を士分に取り立てる事を条件に人柱となる事を申し出ました。
その願いは受け入れられ、お静は人柱となって土中に埋められ、天守の工事は無事完了しました。
しかし、柴田勝豊はほどなく移封となり、息子を士分にする約束は果たされませんでした。
それを怨んだお静の霊が大蛇となって暴れ回ったといわれています。
毎年4月に堀の藻を刈る頃に丸岡城は大雨に見舞われ、人々はそれを「お静の涙雨」と呼び、「堀の藻刈りに降る雨は いとしお静の涙雨」と謡われました。
現在城内にはお静の慰霊碑が残っています。

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現存12天守の一つ。

北陸では唯一の現存天守ですが、福井県にはなかなかいくことは出来ないかなと思っていたのですが、良い機会を得て早く来ることが出来ました。

お城自体は想像よりも小さかったです。

平山城ですが、駐車城から階段を少し登ったらすぐにたどりつけます。

駐車場には一筆啓上茶屋があります。日本一短い手紙で有名らしく、「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」と各所に表記されています。

本丸へは入場料が必要ですが、入場券がしおりになっていてなかなかおしゃれです。

ここに100名城スタンプが置いてあります。

少し坂を上るとすぐに天守閣です。

2重3階の天守は小さいながらも立派です。

中は真夏なのに若干ひんやりします。

急な階段を気を付けながら3階まで上ればよい景色が観れます。

周りに何もないためか、風が吹いて非常に気持ちよかったです。

400年以上あるお城に普通に入れるなんてすごいことですよね。

             

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