「権現山城」68城目@日本の城 #神奈川県横浜市

■城名
権現山城(ごんげんやまじょう)

■所在地
神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷

■見ごたえ
★★

■築城年
室町時代後期

■築城者
上田蔵人

■主な城主
上田氏

■城分類
山城

■縄張
権現山は、幕末から明治時代にかけて重要な変遷を経ています。以下は、その主なポイントです。

1.幕末 – 神奈川台場建設:
幕末期、神奈川台場の建設のために権現山が土取り場として利用されました。この際、山頂が削られるなどして地形が変化しました。

2.明治時代 – 鉄道建設と開削:
明治時代になると、日本初の鉄道である後の東海道線の建設が行われました。
この鉄道建設に伴い、権現山は開削され、地形が大幅に変わりました。

3.埋蔵文化財包蔵地地図 – 城跡の「破壊」:
現在の横浜市の埋蔵文化財包蔵地地図上では、権現山の城跡が「破壊」されたと見なされています。
これは、土地利用の変化や建設活動により、歴史的な遺構や文化財が破壊・変容したことを指しています。

権現山は歴史的に重要な場所であり、土地利用の変遷によりその地形や環境が大きく変わったことが確認されています。城跡の「破壊」は、現代の都市開発や交通インフラの整備に伴うものと考えられます。

■歴史
1510年(永正7年)、関東を支配していた扇谷上杉家の家臣である上田政盛は、北条早雲に味方して謀反を起こし、権現山に砦を築いて籠城しました。この出来事に対抗する形で、扇谷上杉家の上杉朝良と山内上杉家の上杉憲房は権現山城を包囲しました。

この包囲戦は「権現山の戦い」として知られ、援軍として駆けつけた北条軍を撃破しました。結果として、戦いは上杉方の勝利に終わりました。しかし、その後の動向においては、上杉氏の力が弱まり、後に後北条氏による関東支配が始まったとされています。このような歴史的な出来事は、戦国時代の関東地方における権力の転換や激動を物語っています。

■場所

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■城巡り記録

2023年10月26日

神奈川駅を降りて線路沿いを歩くと長い階段があります。

この階段を上ると開けた広場が。

公演です。

結構小高い丘になっていて、線路が多く見えます。

その先に権現山合戦の跡の説明が記載されています。

北条早雲の時代のようですね。

遺構らしきものはなく、実際の縄張も神奈川台場を作るときに削られて、さらに東海道線を通す時に削られて、形を維持していないようです。

しかし、この辺で後北条氏が勢力を広げていったときのことが想像でき、良い場所でした。

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