
■城名
福島城(ふくしまじょう)
■別名
古湊城(こみなとじょう)
■所在地
新潟県上越市港町2丁目(古湊神社・上越市立古湊小学校周辺)
■見ごたえ
★★
■築城年
慶長12年(1607年)
■廃城年
慶長19年(1614年)
■築城者
堀秀治・堀忠俊(父子)
■主な改修者
松平忠輝
■主な城主
堀氏(堀忠俊)、松平忠輝
■城郭構造
梯郭式
■城分類
平城(海城)
■遺構
なし(地下に石垣・彫り込み遺構が埋没、古湊神社境内に石碑・案内板)
■指定文化財
市指定史跡
■歴史(GEMINIより)
福島城(ふくしまじょう)は、現在の新潟県上越市港町(関川河口近く)に存在した江戸時代初期の平城(海城)です。山城であった春日山城を廃し、新たな越後・高田平野の政治・経済の拠点として築かれました。
1. 堀氏による春日山城からの移転と築城
関ヶ原の戦い後、春日山城主となった堀秀治は、山城ゆえの政務・交通の不便さを解消するため、関川と保倉川の合流地点近く(関川河口)の交通・物流の要衝に新城の築城を計画しました。慶長12年(1607年)、秀治の遺志を継いだ子の堀忠俊によって完成し、春日山城から本拠が移されました。
2. お家騒動(堀氏改易)と松平忠輝の入城
慶長15年(1610年)、堀家内部でお家騒動(堀氏の御家騒動)が勃発し、徳川家康の裁定により堀氏は改易(所領没収)となってしまいます。代わって家康の六男・松平忠輝が越後川中島60万石の大名として福島城に入城しました。
3. わずか7年での廃城と高田城への移転
しかし、福島城は関川と保倉川の河口部に位置していたため、度重なる河川の氾濫や水害に悩まされました。また、海に近いことから防衛上の懸念もあり、松平忠輝は義父である伊達政宗らの助言・協力のもと、内陸部の高田に「高田城」を新たに築城することを決断。慶長19年(1614年)、高田城の完成とともに福島城は完成からわずか7年で廃城となりました。現在は住宅街や小学校となっており地上遺構は残っていませんが、地下発掘調査では石垣や堀跡が確認されています。
■場所
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■城巡り記録
2026年10月10日

10月10日、秋晴れの気持ちよい青空が広がる絶好の城巡り日和!今回は、新潟県上越市港町にある幻の城「福島城(ふくしまじょう)跡」を訪ねてきました。
福島城は、あの上杉謙信の本拠地として有名な山城「春日山城」を廃し、政治や物流の利便性を高めるために江戸時代初期(1607年)に築かれた平城です。しかし、度重なる水害などの影響もあり、完成からわずか7年後には「高田城」へ本拠が移されたため、短期間で廃城となってしまった悲運の歴史を持っています。
現在はすっかり住宅街や小学校の敷地となっており、事前に調べていなければ通り過ぎてしまいそうな場所に位置しています。
現地へ到着すると、城跡は上越市立古湊(こみなと)小学校の敷地内に位置していました。
校門のすぐ近く、綺麗に組まれた小さな石垣の上に「福島城跡」と刻まれた立派な石碑と案内板が建てられています。
秋晴れの穏やかな光の中、校庭や周辺の静けさと相まって、かつてここに越後の中心となる巨大な城郭が存在していたとは思えないほど、ただひっそりと佇んでいる姿が非常に印象的でした。地上に大きな曲輪や堀などの遺構が残っているわけではありませんが、石垣と石碑を目の前にすると、堀氏や松平忠輝が駆け抜けた激動の時代へ思いを馳せることができます。
派手な天守や広大な城郭遺構があるわけではありませんが、小学校の学び舎の片隅で静かに歴史を語り継ぐ姿には、山城巡りとはまた一味違った独特の旅情と哀愁がありました。
春日山城から福島城、そして高田城へと移り変わっていった上越の歴史のパズルを埋める上で、絶対に外せない味わい深いスポットです。周辺の歴史散策と合わせて、ぜひ静かに訪れてみてください。

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