岐阜城で信長期の石垣発掘か

岐阜城は山城で、金華山の山頂に天守台があります。

岐阜城といえば、元は齋藤道三の居城であった稲葉山城です。

その後、織田信長が攻め取りこの場所を岐阜と名付けました。

岐阜は信長が稲葉山城に居城を移した際に終わりの政秀寺の禅僧である沢彦宗恩が進言した「岐山・岐陽・岐阜」の3つのうちから選んだと言われています。

信長は居城を岐阜城に移すとともに、これまでの曲輪等の配置を変更したそうです。

その後、信長が本能寺で討たれ、城主となった小田秀信は関ヶ原の戦いで西軍につきましたが、池田輝政が落城させて、御殿は燃やされたそうです。

徳川家康は織田信長の跡が強く残っている場所を嫌い、江戸になってすぐ廃城としています。

岐阜城の石垣などは加納城の築城に使われたといわれています。

https://www.gifu-np.co.jp/news/20201029/20201029-286947.html

そんな岐阜城の織田信長時代の石垣が見つかったというのですからなかなか趣があります。

石垣の積み方などぜひ堪能してみたいものです。

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