「忍城」#埼玉県

忍城 - Wikipedia

■城名
忍城

■所在地
埼玉県(武蔵国埼玉郡忍(現在の埼玉県行田市))

■称号
続日本100名城、関東七名城

■別名
浮き城、亀城

■築城年
15世紀後期

■築城者
成田氏

■主な改修者

■主な城主
成田氏、松平氏ほか

■天守
復興天守

■天守構造
御三階櫓(1701年)非現存
層塔型3重3階(1988年 模擬または復興) ”

■城郭構造

■城分類
平城

■縄張り
北を利根川、南を荒川に挟まれた扇状地に点在する広大な沼地と自然堤防を生かした構造となっている
数度の城攻めを受けて、一度も落城しなかった要害堅固な城として知られる。

■歴史
1478年(文明10年)ごろ、地元の豪族であった成田正等・顕泰父子がこの地を支配していた扇谷上杉家に属する忍一族を滅ぼし、築城したといわれている。
翌年、これに反発する扇谷上杉家に忍城を攻められるものの、同家の家宰太田道灌の仲介によって和解して以後、成田氏が領有した。
河越夜戦後、北条氏が関東に勢力を伸ばすが、成田氏はこれに反発した。
1559年(永禄2年)、上杉謙信が関東に遠征してくると成田氏はこれに恭順した。1561年(永禄4年)の上杉謙信による小田原城攻めには、当時の城主の成田長泰も参加している(小田原城の戦い)。
しかし、鶴岡八幡宮での関東管領就任式後に離反。1574年(天正2年)には上杉謙信に忍城が包囲され、城下に火を放たれたが持ちこたえている。
1590年(天正18年)に豊臣秀吉の小田原征伐に伴い発生した攻城戦の際、豊臣方の水攻めに耐え抜いた逸話から浮き城[2]または亀城と称された
江戸時代に入ると忍藩の藩庁あるいは徳川氏の譜代大名や親藩の居城となり、阿部氏の時代には御三階櫓が新たに建設されるなどの城郭改修や城下町の整備が行われた

■見どころ
(遺構)土塁、堀、移築門
(再建)櫓・模擬門

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