「名胡桃城」13城目@続100名城 #群馬県

■城名
名胡桃城(なぐるみじょう)

■別名

■所在地

群馬県利根郡みなかみ町下津

■見ごたえ
★★★☆

■築城年
明応元年(1492)

■廃城年
天正18年(1590)

■築城者
沼田氏

■主な城主
鈴木氏(真田氏家臣)

■城郭構造
連郭式

■城分類
山城

■縄張
利根川上流の右岸断崖部に位置し、川を挟んで北東に位置する明徳寺城と対峙しています。
歴史的には、真田昌幸の沼田城の支城として、また1590年の小田原征伐の誘因となったことで著名です。

■歴史
築城時期は、伝承によれば室町時代の明応元年(1492年)に沼田城の支城として沼田氏によって名胡桃館が築かれたのが最初とされています。
史料上では、上杉景勝との甲越同盟により東上野の割譲を受けた武田勝頼が、天正7年(1579年)に家臣の真田昌幸に命じて、敵対関係となった後北条氏から沼田領を奪取するための前線基地として築いた城です。
昌幸は小川城の小川可遊斎と共に名胡桃館を攻略して隣接地に築城、ここを足がかりとして昌幸は沼田城攻略を企図し、調略の結果、沼田城を手に入れることに成功しました。
1582年の武田氏の滅亡後、天正壬午の乱を経て独立した真田氏と後北条氏が沼田・吾妻領をめぐって争います。
名胡桃城は沼田城の有力な支城として、沼田領に攻め入ってきた北条の軍を退けました。
天正15年に豊臣秀吉は大名間の私闘を禁ずる惣無事令を発令します。
沼田領については天正17年に裁定が行われ、昌幸が「祖先墳墓の地」であると主張した名胡桃城を含めた全体の三分の一は真田領に、それ以外の沼田城を中心とする三分の二は北条領と定められました。
秀吉家臣の津田盛月と富田一白、徳川家康家臣の榊原康政が沼田に派遣され、沼田城は北条氏に引き渡されます。
真田氏は手放した土地の代替地として信濃国箕輪を与えられました。
沼田城代の北条氏家臣猪俣邦憲が、真田氏の名胡桃城代鈴木重則家臣である中山九郎兵衛を寝返らせ、偽の書状で重則を上田城に呼び寄せた隙に、名胡桃城を占領します。
真田昌幸は直ちに寄親である家康を通して秀吉に訴えでました。
秀吉は軍勢を出立させ、小田原征伐の結果、後北条氏が滅亡すると全沼田領は真田氏が安堵し名胡桃城は廃城となりました。
実際に使用されたのは約10年間でした。

■遺構
曲輪、土塁、横堀(空堀)

■指定文化財
県史跡

■ご城印

■場所

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■城巡り記録

2023年7月28日

あの秀吉による小田原攻め契機となった有名なお城、名胡桃城に行ってきました。


沼田城の支城として築かれたのですが、沼田城が北条方、名胡桃城が真田方と分けるにしては、地理的に近すぎるなぁと。


名胡桃城に着いたら、まずは城址案内所に行きます。


ここで、続100名城のスタンプを押しました。


さらに御城印を購入します。

結構種類があり、3種類の御城印を購入しました。

さらに、六文銭のシールやクリアファイルが無料で提供されます。
嬉しいですね。

そこからすぐ隣にある名胡桃城址へ。


真夏の暑い時間に行きましたが、誰もいませんでした。


すでに行こうとして残っているのは本郭の一部出そうですが、それでも幾重にも張り巡らされて堀はすごいです。


堀の先に土塁があり、見張り台も設置されています。


先程いった小川城もそうですが、名胡桃城も一方がものすごい崖となっている場所を縄張りとしています。

名胡桃城の場合は本郭から裏手に回った場所に袖郭があり、ここからみる景色は非常に綺麗です。


なぜか5円玉を6つ並べて置かれていたりするのは、誰かが六文銭を表現したかったのだろうと思います。


北条氏に沼田城を占領されたときは騙し討ちにあったようですが、それ以前は沼田城の支城として堅牢なお城だったようです。


良いお城でした。

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