「小諸城」21城目@100名城 #長野県

2019年8月11日

■城名
小諸城

■所在地
長野県小諸市(信濃国佐久郡(のち北佐久郡)小諸)

■称号
日本100名城

■別名
酔月城 穴城 白鶴城 鍋蓋城

■築城年
1554年(天文23年)

■築城者
武田信玄

■主な改修者
仙石秀久

■主な城主
武田氏、仙石氏、牧野氏など

■天守
不明

■天守構造
不明

■城郭構造

■城分類
平山城

■縄張り
戦国時代、武田信玄の東信州経営のために現在の縄張りとされた。
現在残っている城跡の元になったものは信玄の軍師であった山本勘助の縄張りだと言い伝えられているが、根拠となる史料はない。
安土桃山時代から江戸時代にかけて、石垣を構築した近世城郭に改修された。
現在のような構えとなったのは仙石秀久の改修によるもので、三重天守もその頃に建てられたものであった。
城郭は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことができ、このため穴城とも鍋蓋城ともいう別称がある。
浅間山の田切地形の深い谷を空堀として利用しており、西側の千曲川の断崖も天然の防御として利用されている。

■歴史
長享元年(1487年)に大井光忠によって築城されたと考えられている
天文23年(1554年)に竣工する。
小諸城主は武田家の親族衆である武田信豊であるとする説がある
勝頼期には御一門衆の下曾根浄喜が城代を務めており、天正10年(1582年)3月の織田・徳川連合軍の甲斐侵攻に際しては小諸城に逃れてきた信豊を浄喜が打ち取り首を織田信長に進上したが、浄喜も誅殺されたという。
武田氏が滅んだ後に上野国と信濃佐久郡・小県郡は織田家臣の滝川一益が領し、城代は道家正栄が務める
天正10年6月2日の本能寺の変により相模国の後北条氏が上野へ侵攻し、6月19日に一益は後北条氏との神流川の戦いで敗退する
敗走した一益は箕輪城(群馬県高崎市箕郷町)を経て碓氷峠を越え、6月21日に小諸城へ入城する
6月21日には佐久郡の国衆・依田信蕃が小諸城において一益と面会し、一益は木曽郡の木曾義昌とも交渉し、6月27日に小諸城を退去して佐久・木曽両郡を通過して本国の伊勢国長島へ帰還した
これにより小諸城主は依田信蕃となる。
後に徳川氏に引き渡された。
小田原征伐後に依田氏が徳川氏に従って関東地方に移ると、代わって小田原征伐での功労が認められ5万石で再び大名に列せられた仙石秀久が天正18年(1590年)に入城した
秀久は関ヶ原の戦いでは東軍についたが、その後も元和8年(1622年)に2代忠政が上田城へ転封となるまで居城した。

■見どころ
(遺構)大手門、三之門、天守台、石垣、空堀
(重要文化財)大手門、三之門

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小諸城に行ってきました。

小諸駅を降りてすぐの場所にあります。

小諸城の別名を「穴城」と呼んでいるらしく、小諸城の名所となる三の門は周りの土地よりも低い場所に作られていました。

小諸城は武田信玄が築城したお城で、縄張りはその軍師山本勘助であろうと言われています。

三の門に来てみると確かに低くなっています。

特に三の門の場所から見上げると下がっていることがよく分かりました。

三の門をくぐると左手に「徴古館」という歴史資料館があり、この場所に100名城スタンプは置かれていました。

スタンプの図柄はやはりこの穴城といわれる三の門です。

お城自体は現在は無く、懐古園という庭園となっています。

入場料を払いここからは上りです。

石垣は戦国時代に積まれたものらしく、荒々しい感じの野面積み。

そこに苔が生えて非常に良い感じになっています。

二の丸から本丸に向かって歩くと黒門橋があります。

その先に黒門跡とあったので、この橋を渡ったところに門があり、本丸を守っていたのでしょう。

本丸はそこからさらに一段高台になっています。

この石垣も苔が生い茂っていて非常に趣深いです。

本丸跡は懐古神社が建っていました。

その裏手には天守台跡があり、最も高台となっている場所で非常に眺めが良いです。

天守台跡から石垣沿いに歩くことができ、廻ってみました。

柵もなく結構高い石垣なのですが小諸城の良さを堪能できます。

天守台から見えた大きな木は欅でした。

この木は特別な感じが漂っています。

これで一通り小諸城は見たかなと思ったのですが、駅の方に向かうと大手門が違う場所にありました。

公園のような開けた場所に綺麗な階段が設置されています。

看板とかちゃんとあるのですが、あまりこちらの大手門の方に行く人は少ないみたいです。

突然大手門と少しの石垣だけがあるので結構驚きました。

ここからではなかなか当時のお城の全景をイメージできません。

現存している石垣の長さは短いのですが、高く積まれており迫力があります。

大手門は櫓門となっており、非常に重厚感があります。

門から上を見上げると石落とし。上から石が降ってきたら溜まりませんね。

大手門の櫓は資料展示室となって解放されていたので見に行きました。

小諸城の全景が描かれた地図があり、当時の全景をやっと知ることが出来ました。

小諸城だとどうしても三の門のほうが有名ですが、この大手門も非常に見ごたえがあります。

武田、真田のお城が多い長野は実戦的な城が多く、非常に楽しかったです。

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