「金沢城」@8城目

2019年3月11日

■城名
金沢城

■称号
日本100名城

■別名
尾山城、尾上城、金城

■築城年
天正8年(1580年)

■築城者
佐久間盛政

■主な改修者
前田利家・利長

■主な城主
佐久間氏、前田氏

■天守

■天守構造
不明(1592年築)

■城郭構造
梯郭式

■城分類
平山城

■縄張り
金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた、戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城である(かつて「尾山」と呼ばれたのもこの地形にちなむ。台地先端を山の尾とみなした)。
櫓や門に見られる、白漆喰の壁にせん瓦を施した海鼠(なまこ)壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風や入母屋破風の出窓は、金沢城の建築の特徴である。
金沢城はあまり堅固な城とは言えず、有事の際は城下町にて敵を迎え撃つための軍事拠点として城下3ヵ所に寺院群が設けられた。そのうちのひとつ、寺町寺院群の妙立寺(通称:忍者寺)の井戸には城内に通じる抜け穴があるとされる。

■歴史
この地は加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院である「尾山御坊(おやまごぼう、または御山御坊)」であった。
寺とはいうものの大坂の石山本願寺(大坂御坊)と同じく石垣を廻らした城ともよべる要塞でもあった。
跡地に金沢城を築いて佐久間盛政を置いた。後に盛政が賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉により討たれ、秀吉は金沢城を前田利家に与えた。
利家は文禄元年(1592年)から改修工事を始め、曲輪や堀の拡張、5重の天守や櫓を建て並べた。兼六園は、加賀藩五代藩主前田綱紀が金沢城に付属してつくらせた蓮池庭を前身とし、代々の藩主が改修した大名庭園である。
城址は明治以降、存城とされて軍施設が置かれたため建物の一部を残して撤去され、第二次世界大戦後には金沢大学が平成7年(1995年)まで置かれていた。

■見どころ
(遺構)長屋・門・櫓・土蔵・土塀
(移築)能舞台・石垣・堀
(再建)菱櫓・橋詰門・橋詰門続櫓・五十間長屋・鼠多門・玉泉院丸庭園

■日本城郭検定向け情報
『現存最古といわれる噴水があり、松平定信が命名した大名庭園を持つ城』
『現存する江戸期の城郭土蔵で建築面積最大の鶴丸倉庫

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■登城記録

日本百名城の8城目は金沢城。

加賀百万石、前田利家の居城です。

となりの兼六園からの景色。

橋を渡り石川門から入ります。

石垣が連なっています。

よく見ると石垣の石が綺麗に切りそろえられた切石積みのものと不揃いの粗加工石積みのものがあります。

積まれた年代が異なるようです。

お城の中では石垣の種類の説明やどの場所でどのような石垣が見れるかパンフレットがあります。

金沢城は「石垣の博物館」らしいです。

石垣の上の櫓や塀もすごい綺麗です。

塀については、お城の中に作りの説明がありました。

姫路城とかのように縦長の弓の狭間はなく、全て鉄砲狭間です。

さらに表から狭間が見えないように穴は開いておらず、いざという時に中から穴をあけるとのこと。

だから塀が非常にきれいに見えるんですね。

塀には控え柱と貫が多数設置されていました。

これでもかというくらいあるので、この狭間と塀の上からの2重で狙える堅牢なお城です。

石川門をくぐるとすぐに大きな河北門がみえます。

さらに少し歩くと二の丸の前の橋爪門。

カラフルな石垣もきれいです。

本丸の石垣は結構高いです。

途中トンネルがありました。

これは金沢城が旧陸軍の基地となっていた際に穴をあけたものとのことです。

なんか残念な感じがしました。

本丸からの景色。

主に住んでいた御殿は二の丸にあり、二の丸の広さが良く分かります。

そして非常に新しくて綺麗な鶴の丸休憩館。

ボランティアの人もたくさんいて、いろいろ説明してくれます。

喫茶もあり、金沢といえば金箔ということで、金箔ソフトクリームを食べました。

なかなか見ごたえのあるお城でした。

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