■城名
小沢城(おざわじょう)
■別名
天神山城、小沢天神山城
■所在地
神奈川県川崎市多摩区
■見ごたえ
★★★
■築城年
平安時代後期
■築城者
稲毛重成
■主な改修者
後北条氏
■主な城主
小沢氏、後北条氏
■城分類
山城
■歴史
●築城時期と築城主
平安時代末期に稲毛三郎重成(武蔵七党の横山党に関連のある武士)が築いたと伝わります。
あるいは、重成の子である小沢小太郎が築城したという説もあり、築城主については諸説あります。
●構造と立地
小沢城は、多摩丘陵の一部を利用して築かれた山城で、防御のための堀や土塁が備わっていたと考えられます。城の周囲には多摩川などの自然の要害が広がり、戦略的にも有利な位置にありました。
●歴史的な出来事
観応2年(1351年)
南北朝時代、足利直義(高師直と対立)の陣営に属する小沢城は、足利尊氏の子である足利基氏の軍勢に攻められました。この際、高麗経澄(こまつねずみ)が城を攻略し、城は焼失しました。
享禄3年(1530年) 小沢原の戦い
北条氏の家督を継ぐ北条氏康が、城を拠点として上杉朝興の侵攻を迎え撃ちました。この戦いで氏康は上杉軍を退け、これが彼の初陣の勝利として知られます。
●戦国時代以降の運命
戦国時代の混乱期を経て、小沢城は次第に使われなくなり、廃城となりました。
江戸時代になると、「富士講」の信仰の影響を受け、城の跡地は富士塚として再利用されました。富士登山を模した祠や記念碑が建てられ、地域の信仰の場となりました。
●太平洋戦争中の利用
第二次世界大戦中には、戦略的な位置を活用され、城跡に探照灯が設置されました。
探照灯は近隣の生田に設置された高射砲と連携し、米軍機B29を迎撃するために使用されていました。
■遺構
曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、物見台、井戸
■場所
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■城巡り記録
2025年1月2日
よみうりランドの近くにあるお城に行ってきました。
お城の入り口をグーグルマップで調べたが分からず。
いろいろとホームページを見ているとぐるっと回った菅仙谷1丁目の方からのようなので、山沿いに歩いてみました。
入り口を発見して階段を上っていきます。
いきなり山感が満載でびっくりです。
竹林も非常に良い感じで、こんな住宅街の近くに良い場所があっていいなぁと思いました。
道も整備されていて、結構人もいます。
柵がしっかりあるので安全ですが、無ければ結構危ない場所も多いです。
ちゃんとした山城だったんですね。
物見台と空堀などは案内板もしっかりあります。
本丸の場所には小沢城址の案内がありました。
歴史的にかなり重要な場所だったようです。
道を進むとよみうりv通りに出ました。
こちらから入っても良いと思いますが、まぁせっかくなら菅仙谷の方から行った方が面白いかもしれません。
急坂を降りていくと階段があります。
階段を降りると穴澤天神社に出ます。
お正月なので、人がいっぱいいました。
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