「筒戸城(つつどじょう)」207城目@日本の城 #千葉県

■城名
筒戸城(つつどじょう)

■所在地
茨城県つくばみらい市

■見ごたえ

■城分類
平山城

■遺構
土塁

■歴史(ChatGPTより)

筒戸城(つつどじょう)は、現在の茨城県つくばみらい市筒戸に築かれた戦国時代の平山城です。小貝川東岸に広がる舌状台地の先端部、標高約16メートルの場所に築かれ、周囲を湿地帯に囲まれた天然の要害でした。城域は南北約600メートル、東西約400メートルと比較的大きく、現在は禅福寺周辺に主郭跡と考えられる土塁や堀が残されており、当時の城郭の面影を今に伝えています。

築城年代については、永禄2年(1559年)に筒戸氏が築いたとする説がありますが、確かな史料は残されていません。一方で、『多賀谷家譜』『新編常陸国誌』『関八州古戦録』など複数の史料には、相馬胤親(そうま たねちか)や相馬胤長、相馬治胤など相馬氏一族が城主として記されており、戦国時代には守谷城を本拠とした相馬氏の支城として利用されていたと考えられています。

筒戸城は、守谷城から北方を守る防衛拠点として重要な役割を果たしました。東側を流れる小貝川と周囲の湿地帯を天然の堀として利用し、敵の侵入を防ぐ優れた立地を備えていました。現在も禅福寺入口付近には、郭を区画する堀と土塁が確認されており、土の城ならではの縄張りを観察することができます。広い城域を持ちながらも、自然地形を最大限に活用した実戦的な城郭であったことがうかがえます。

戦国時代末期には、常陸南部で勢力を拡大していた多賀谷氏との争いに巻き込まれました。天正17年(1589年)には、多賀谷家臣の白井全洞が約150騎を率いて筒戸城を攻撃しましたが、守谷城から相馬氏の援軍が駆け付けたため、城は落城を免れたと伝えられています。この出来事は、筒戸城が守谷城防衛の最前線として重要な役割を担っていたことを示しています。

しかし翌天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原征伐が始まると、後北条氏と関係の深かった相馬氏も降伏を余儀なくされました。圧倒的な豊臣軍を前に筒戸城は戦うことなく開城し、そのまま廃城となりました。

現在、城跡には大規模な建造物は残されていませんが、土塁や堀の一部が往時の姿を伝えています。静かな住宅地と寺院の周辺に中世城郭の痕跡が残り、守谷城や高井城、小金城などとあわせて巡ることで、相馬氏が築いた利根川・小貝川流域の防衛網を理解することができます。派手さはありませんが、戦国時代の地域支配を知るうえで重要な歴史遺産といえるでしょう。

■場所

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■城巡り記録

2026年7月9日

筒戸城跡を訪れると、現在は静かな住宅地と禅福寺に囲まれていますが、土塁や堀の遺構から戦国時代の城の雰囲気を感じることができました。小貝川や周囲の低湿地を巧みに利用した立地を見ると、天然の地形を活かした堅固な城であったことがよく分かります。守谷城を支える支城として重要な役割を担っていた歴史を思い浮かべながら歩くと、相馬氏の防衛戦略の巧みさを実感しました。高井城や守谷城など周辺の城跡とあわせて巡ることで、この地域の戦国史への理解がさらに深まる見学となりました。

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