
■城名
能島城(のしまじょう)
■別名
-
■所在地
愛媛県今治市宮窪町
■見ごたえ
★★★★★
■築城年
応永26年(1419)
■廃城年
天正16年(1588)
■築城者
村上雅房
■主な城主
村上氏
■城分類
海城
■遺構
曲輪、石垣
■指定文化財
国史跡(能島城跡)
■歴史(GEMINIより)
能島城(のしまじょう)は、愛媛県今治市(旧宮窪町)の沖合、瀬戸内海の芸予諸島に浮かぶ無人島「能島」および隣接する「鯛崎島」全体に築かれた水軍の城郭跡です。
戦国時代に「海の領主」として瀬戸内海の海上交通や物流を掌握した能島村上氏(村上海賊)の本拠地であり、国の史跡ならびに「続日本100名城」に選定されています。
■ 歴史と背景
能島城を拠点とした能島村上氏は、因島村上氏・来島村上氏と並ぶ「村上三家(村上海賊)」の中でも屈指の軍事力と政治的影響力を誇りました。戦国時代の当主・村上武吉(たけよし)の時代には全盛期を迎え、独自の通行手形(関札)を発行して海上通行料を徴収し、航海警護や海上物流を取り仕切るなど、事実上の「海の国家」として君臨しました。
織田信長や毛利氏などの大名とも対等に渡り合い、戦国期の海上戦で圧倒的な存在感を示しましたが、豊臣秀吉による天守・海賊停止令(1588年)などを経て退去を余儀なくされ、能島城は廃城となりました。
■ 構造と立地上の特徴
能島城の最大の特徴は、一般的な陸上の城で見られる土塁や深い空堀・堀切といった防御施設がほとんど存在しない点にあります。これらを必要としないほど、周囲の自然環境そのものが強力な「要塞」として機能していました。
「天然の堀」となる激しい潮流
能島の周囲は「船折(ふなおり)」と呼ばれる瀬戸内海でも屈指の難所で、干満差により川のように激しい潮流や巨大な渦潮が発生します。この激流が外敵の不用意な接近を完全に阻む天然の水堀となり、潮流の特性を知り尽くした村上水軍のみが自在に船を操ることができました。
島全体の城郭化と曲輪構成
周囲約720メートルの小さな島全体が段状に整地されています。中央の最も高い位置に本丸が配置され、それを囲むように二の丸、三の丸、東南出丸などの曲輪が連なっています。さらに隣接する鯛崎島を出曲輪(要衝)とし、両島の間にはかつて吊り橋が架けられていたと伝えられています。
岩礁ピット(柱穴痕)
島の沿岸部の岩場には、直径数十センチ程度の丸い穴が400箇所以上残されています。これは「岩礁ピット」と呼ばれ、小型船(小早船など)を繋ぎ止めるための杭や、木造の桟橋・護岸施設、見張り台の脚を固定するために掘られた能島城特有の遺構です。
居住性と生活の痕跡
発掘調査では、本丸から宴会や儀式で用いられた大量の土器(かわらけ)や中国製の磁器、三の丸からは武器や道具の整備を行っていた鍛冶場跡、貿易品や兵糧を保管したとみられる大型建造物の基礎などが発見されています。当時、島内には100〜200人規模の人員が常駐・生活していたと推測されています。
■ 見学と現在の姿
現在、能島は無人島となっており、島内へは普段自由に上陸することはできませんが、対岸の今治市宮窪町にある「村上海賊ミュージアム」や、周辺から運航されている「能島城跡潮流体験クルーズ」などを通じて、その激しい潮流と島郭の景観を間近に観察することができます。
潮流という自然の猛威を緻密に計算し、海と共に生きた村上海賊の知恵と権威を現代に伝える、日本国内でも類を見ない唯一無二の「海上要塞」です。
■ご城印

■場所
“~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■城巡り記録
2026年8月8日
いつ行けるか分からなかった能島城。
行くことが出来ました。
しかも、ちゃんと島に上陸しました。
しまなみ海道に来たからには絶対に寄らないといけないですね。
楽しかった。
それにしてもあんなに小さな島が本拠地だったなんてびっくりです。


![]()
にほんブログ村
![]()
にほんブログ村
![]()
にほんブログ村
![]()
にほんブログ村

人気ブログランキング

お城巡りランキング

お城・史跡ランキング