「小金城(こがねじょう)」199城目@日本の城 #千葉県

■城名
小金城(こがねじょう)

■別名
大谷口城、開花城、大谷口小金城

■所在地
千葉県松戸市大谷口字本城

■見ごたえ
★★★

■築城年
天文6年(1537)

■築城者
高城胤吉

■主な改修者
高城胤辰

■主な城主
高城氏、武田信吉

■城分類
平山城

■遺構
曲輪、土塁、横堀(空堀)

■歴史(ChatGPTより)

小金城(こがねじょう)は、千葉県松戸市大谷口に築かれた戦国時代の平山城で、大谷口城や開花城とも呼ばれています。標高約20メートルの丘陵地に位置し、古利根川や中川、荒川流域の低地を一望できる要害の地に築かれました。城域は東西約800メートル、南北約700メートルにも及び、12もの郭を備える下総国北西部最大級の城郭として知られています。その規模と防御力から、戦国時代の北総地域を代表する名城の一つに数えられています。

小金城は享禄3年(1530年)に縄張りが行われ、天文6年(1537年)に高城胤吉によって築城されました。高城氏は千葉氏の重臣であり、それまで居城としていた根木内城から本拠を移し、小弓公方足利義明の勢力拡大に対抗するため、新たな防衛拠点として小金城を整備しました。城内には金杉口、大手口、達磨口、横須賀口、大谷口の五つの出入口が設けられ、それぞれが厳重に守られていました。横須賀口には家臣団の屋敷が置かれ、完成時には盛大な祝宴が催されたと伝えられています。

その後、小金城は高城胤吉・胤辰・胤則の三代にわたり約半世紀にわたって高城氏の本拠となりました。永禄年間には、古河公方足利義氏が古河御所を追われた際の仮御所として利用されるなど、軍事だけでなく政治的にも重要な役割を果たします。また、上杉謙信の関東侵攻に備えて城はさらに拡張され、永禄9年(1566年)には上杉方の攻撃を受けながらも籠城戦に成功し、その堅固さを示しました。

城下町も大いに発展し、太日川(現在の江戸川)の水運を利用した商業が盛んになりました。市場が開かれ、小金宿が形成されるとともに、本土寺や東漸寺などの寺院も高城氏の保護を受けて栄え、軍事・経済・文化の中心地として繁栄しました。

しかし、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐では、高城氏が後北条氏に従って小田原城へ籠城したため、小金城は浅野長政ら豊臣軍の攻撃を受けて落城し、焼き払われました。その後、徳川家康の五男・武田信吉が一時入城しましたが、文禄2年(1593年)に廃城となりました。

現在は宅地開発によって城域の大半が失われていますが、大谷口歴史公園として一部が保存されています。園内には土塁や空堀、堀切のほか、後北条氏の城郭に特徴的な畝堀や障子堀の遺構も確認できます。また、発掘調査では建物跡や櫓跡、鉄砲玉、陶磁器などが発見され、小金城が戦国時代の重要拠点であったことを物語っています。現在でも城跡を歩けば、北総地域を支配した高城氏の本拠として栄えた往時の姿を感じることができ、根木内城や前ヶ崎城など周辺の城郭とあわせて巡ることで、戦国時代の下総の歴史をより深く知ることができます。

■ご城印

■場所

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■城巡り記録

2026年7月9日

小金城跡を訪れ、かつて下総屈指の規模を誇った城であったことを想像しながら散策しました。現在は宅地化により多くの遺構が失われていますが、土塁や空堀、堀切などが残されており、その防御力の高さを感じることができます。広大な城域を思い浮かべると、高城氏の本拠として栄えた当時の様子が目に浮かび、戦国時代の歴史に思いを馳せることができました。前ヶ崎城や根木内城など周辺の城跡とあわせて巡ることで、この地域の城郭ネットワークの重要性をより深く実感できた見学となりました。

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