「沼津城(ぬまづじょう)」186城目@日本の城 #静岡県

■城名
沼津城(ぬまづじょう)

■別名
沼津新城、三枚橋城

■所在地
静岡県沼津市大手町

■見ごたえ

■築城年
安永6年(1777)

■築城者
水野忠友

■主な城主
水野氏

■城郭構造
梯郭式

■城分類
平山城

■遺構
石垣

■歴史(ChatGPTより)

沼津城(ぬまづじょう)は、現在の静岡県沼津市大手町にあった近世城郭で、別名を「観潮城」という。江戸時代後期に築かれた比較的新しい城であり、駿河湾に近い立地から海を望む城として知られていた。

もともとこの地には、江戸初期に大久保氏が本拠とした三枚橋城が存在していたが、火災により焼失し、その後は開墾地となっていた。18世紀後半、水野忠友が沼津藩主として入封すると、新たな城の築城を計画し、安永年間(1778~1780)に本格的な工事が開始された。築城にあたっては、当初は軍学者による縄張り案も検討されたが、最終的には幕府の許可を得て別案で進められ、数年をかけて完成した。

沼津城は梯郭式の平山城で、狩野川に隣接して本丸を置き、その北西に二の丸・三の丸を配する構造を持っていた。本丸には三層の櫓が建てられ、天守の代用とされ、二の丸には藩政を行う御殿が置かれた。ただし規模はそれほど大きくなく、同地にあった三枚橋城よりも面積は小さく、主に政治の拠点としての性格が強かったとされる。

城下町は、もともと東海道の宿場町および港町として発展していた沼津の町を基盤として形成された。そのため、一般的な城下町のような大規模な区画整理は行われず、既存の町に城郭や武家地が付加される形となった。江戸後期には城下町としての機能も強まり、物資の集散地としてにぎわいを見せた。

幕末から明治維新にかけて、沼津城は一時的に教育機関としても利用された。特に沼津兵学校が置かれたことで知られるが、同校は間もなく東京へ移転し、その役割は短期間に終わった。その後、明治政府の方針により城は解体され、1872年には競売にかけられて取り壊された。さらに道路整備や鉄道開通、戦災などによって遺構の大半は失われ、城の姿はほとんど残っていない。

現在、沼津城の跡地は市街地となっているが、本丸跡は中央公園として整備され、「沼津城本丸址」の碑が建てられている。また、二の丸跡には神社が建つなど、わずかに往時の痕跡をとどめている。移築建築とされる門が寺院に残るなど断片的な遺構はあるものの、全体としては原形をほぼ失った城の一つといえる。

沼津城は、江戸後期に築かれた地方藩の政庁としての性格を色濃く持ち、宿場町から城下町へと発展した地域の歴史を示す存在である。規模や軍事的威容では他の名城に及ばないが、近世都市形成や幕末期の教育史とも関わる点で、興味深い歴史的価値を持っている。

■場所

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■城巡り記録

2026年4月20日

工事中で何も見れなかった・・・。

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