■城名
戸倉城(とくらじょう)
■別名
徳倉城
■所在地
静岡県駿東郡清水町下徳倉字和田入他
■見ごたえ
★★★
■築城年
文明年間(1469〜1487)
■廃城年
天正18年(1590)
■築城者
北条氏綱
■主な城主
後北条氏、笠原氏、武田氏
■城分類
山城
■遺構
曲輪、土塁、堀切
■歴史(ChatGPTより)
戸倉城(とくらじょう)は、現在の静岡県駿東郡清水町徳倉にあった戦国時代の山城で、伊豆国と駿河国の国境に位置する重要な軍事拠点であった。この地域は本来駿河国に属していたが、戦国期には実質的に伊豆の勢力圏として認識されており、両国の境目を押さえる城として高い戦略的価値を持っていた。
築城時期については諸説あり、文明年間(1469~1487)に今川氏によって築かれたとする記録もあるが、確証はなく、実際には16世紀中頃以降の築城とみる説が有力である。また、伊豆を本拠とした北条氏綱が築いたとする伝承もあり、いずれにせよ戦国期の国境防衛のために整備された城であったことは間違いない。
この城が歴史の表舞台に現れるのは、甲斐・相模・駿河の三国による同盟関係が崩壊した後である。永禄11年(1568)から元亀2年(1571)にかけて、武田氏と後北条氏の間で激しい争奪戦が繰り広げられ、戸倉城もその戦場の一つとなった。天正9年(1581)には北条方の城将・笠原政尭が武田側に寝返り、一時は武田氏の支配下に入るが、翌年の武田氏滅亡によって再び北条氏の手に戻るなど、情勢に翻弄された城でもあった。
その後、天正18年(1590)に小田原征伐が始まると、北条方は防衛線を整理し、戸倉城の兵は韮山城や山中城へ撤退した。これにより戸倉城は放棄され、廃城となった。
城の構造は、丘陵を利用した典型的な山城で、本曲輪を頂部に置き、二の曲輪などを段状に配置する連郭式の縄張りを持っていた。特に尾根筋には二重の堀切が設けられており、敵の侵入を遮断する防御性の高さがうかがえる。現在は「本城山」と呼ばれる小山として残り、山頂の本曲輪跡は本城山公園として整備されている。公園化により遺構の一部は改変されているものの、曲輪跡や堀切などから往時の姿をしのぶことができる。
戸倉城は、華やかな天守を持つ城ではないが、国境防衛の最前線として機能した実戦的な山城であり、戦国時代の勢力争いの緊張感を今に伝える貴重な遺跡である。伊豆・駿河をめぐる攻防の歴史を理解するうえで重要な存在といえる。
■ご城印

■場所
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■城巡り記録
2026年4月20日

登り口をちゃんと調べず、グーグルマップに従っていったら龍泉寺へ。
東登り口に向かう道があり進んだが、なんか違いそうなので、調べて駐車場のある北登り口へ行きました。

案内板もあり、やはりこちらですね。

道はしっかりと整備されています。
ずっと会談が続く感じですが、それほど長くありません。

登った先が本丸。

おしゃれな建造物がありました。

上ってみると展望台。

この展望台に上るだけでここまで景色が変わるんですね。
良く見えてよかったです。


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