■城名
泉頭城(いずみがしらじょう)
■所在地
静岡県駿東郡清水町伏見字泉頭
■見ごたえ
★★★
■築城年
弘治年間(1555〜1558)
■廃城年
天正18年(1590)
■築城者
北条氏康
■主な城主
後北条氏、笠原氏、武田氏
■城分類
平城
■遺構
曲輪、土塁、堀切
■歴史(ChatGPTより)
泉頭城(せんとうじょう)は、現在の静岡県清水町にあったとされる戦国期の城郭で、伊豆・駿河・相模の境界に近い戦略的要地に築かれたと考えられている。伝承によれば、天文23年(1554)、北条氏康が甲斐の武田勢に備えるために築いた城とされ、当時の緊張した国境防衛の一端を担っていた。
その後、武田氏が滅亡すると、駿河は徳川方の支配下に入り、泉頭城は徳川家康に対する最前線の拠点として機能したとみられる。つまりこの城は、時代ごとに支配勢力が変わりながらも、常に「境目の城」として重要視された存在であった。
やがて天正18年(1590)の小田原征伐により後北条氏が滅亡すると、多くの支城と同様に泉頭城も役割を終え、廃城になったと考えられている。ただし、城としてのポテンシャルは非常に高い場所であった点が注目される。
泉頭城の立地は、豊富な湧水で知られる柿田川周辺にあり、水資源に恵まれた生活環境と、交通の要衝という軍事的利点を兼ね備えていた。こうした条件から、後年になって徳川家康が隠居城の候補地として注目したとも伝えられる。実際に家康は現地を視察する予定まで立てていたが、最終的には計画が変更され、隠居地は駿府(現在の静岡市)に定められた。このため泉頭城は大規模な近世城郭へと発展する機会を逃したが、もし実現していれば、駿府城に匹敵するような壮大な城になった可能性も想像されている。
現在、泉頭城の中心部とされる本曲輪(本丸)は、柿田川公園内の「湧水の道」周辺に比定されており、明確な石垣や建造物は残らないものの、地形やわずかな遺構から往時の姿をしのぶことができる。特に柿田川の豊かな水は、城の立地条件の優秀さを今に伝える重要な要素である。
泉頭城は記録が限られ、実像には不明点も多いが、戦国期の境目の城としての役割と、徳川家康の隠居地候補という後世の逸話の双方を持つ点で興味深い存在である。歴史の表舞台に大きく登場することは少ないものの、その立地と背景を考えると、戦国から近世への移行期を象徴する城跡の一つといえるだろう。
■ご城印

■場所
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■城巡り記録
2026年4月20日

家康の隠居の候補地だったんですね。
お店とかカフェも合って、良い場所になっています。

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