■城名
高遠城(たかとおじょう)
■別名
兜山城
■所在地
長野県伊那市高遠町
■見ごたえ
★★★★
■称号
日本100名城
■築城年
不明
■廃城年
1872年(明治5年)
■築城者
不明
■主な改修者
武田信玄
■主な城主
高遠氏、秋山氏、武田氏、仁科氏、下條氏、保科氏、毛利氏、京極氏、鳥居氏、内藤氏
■天守
なし
■城分類
平山城
■縄張
1547年、武田信玄は信濃への侵攻を開始しました。その中で、天然の要害である高遠城を攻略しました。高遠城は、三峰川と藤沢川が合流する河岸段丘上に位置し、周囲を河川に囲まれていました。信玄は山本勘助や秋山信友に指示して、城の大規模な改修を行いました。この改修では、本丸や各曲輪などの要所に、空掘りによって区画された防御ラインが造られました。これにより、高遠城はより堅固な防衛拠点として整備され、信濃地方の支配を強化しました。
■歴史
高遠城は戦国時代から安土桃山時代にかけて、諏訪氏の一族である高遠頼継の居城でした。
頼継は1541年に武田晴信(信玄)に内応して諏訪攻略を援助しました。
その後、頼重との対立や武田氏との対立により、高遠城は戦略的な拠点となりました。
武田氏時代には信濃への進出拠点として大規模な改築が行われ、秋山虎繁が城主となりました。
1562年には武田晴信の庶子である武田勝頼が高遠城主となり、武田氏の後継者として領地を統治しました。
しかし、信濃を巡る織田・徳川との対立が深まり、高遠城は重要な軍事拠点となりました。
1582年には織田信長による甲州征伐が行われ、高遠城は落城しました。
その後、織田・豊臣氏時代には伊那郡は織田家臣の毛利長秀が支配し、高遠城は壊滅しました。
江戸時代には高遠藩の藩庁となり、内藤氏などが城主となりました。
現代では高遠城は日本100名城に選定され、その歴史的な価値が認められています。
■遺構
石垣、土塁、空堀、門
■指定文化財
国史跡
■ご城印
■場所
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■城巡り記録
2023年10月27日
高遠城に行ってきました。
かなり交通の便が悪い場所にあるのでいつ行けるだろうかと思っていたのですが、ふとしたことからバイクのソロツーリングをしたくなり、目的地は高遠城にしました。
予想以上に遠かったですが、高速降りてから国道152号を走るのですが、この道が非常に気持ちよく走れて最高でした。
高遠城は桜の名所。
本当は桜の咲く時期に来たかったのですが、それを待っていてはいつ行けるか分からず。
秋に行ってきました。
近々もみじ祭りが開催されるようです。
しかし、目的は木々ではなくお城です。
ゆっくりと遺構として残っているお堀を堪能しました。
各所に案内板があって、ちゃんと説明してくれているところがいいですね。
さすが日本100名城といったところです。
景色が良い場所から下を見ると駐車場として使われている勘助曲輪跡が見えました。
天才軍師山本勘助が縄張した場所ですね。
移築された太鼓櫓も綺麗に残っています。
そこから下って行って伊那市立高遠町歴史博物館へ
ここで100名城スタンプを押印することが出来ます。
無事押印し終えましたが、そこにはものすごい数のご城印が一覧化されています。
この場所で買えないご城印もあるのですが、高遠城だけでこの数はすごいですね。
まぁご城印はそれほど本気で集めていないので、この場所で買える2種類のご城印を購入しました。
次は桜の咲いているときに来たいですね。
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