「諏訪原城」22城目@続100名城 #静岡県

■城名
諏訪原城(すわはらじょう)

■別名
牧野城、牧野原城、扇城

■所在地
静岡県島田市金谷

■見ごたえ
★★★★

■称号
続日本100名城

■築城年
天正元年(1573年)

■廃城年
天正18年(1592年)

■築城者
馬場信春

■主な改修者
松平家忠

■主な城主
今福虎孝、今川氏真、松平家忠

■天守
なし

■城分類
山城

■縄張
諏訪原城(牧野城)は、遠江国の東端近くに位置する牧之原台地の先端部にあります。
城の南側には東海道が通り、東の金谷坂を下ると大井川を越えて駿河国に入り、西の菊川坂を下ると小夜の中山を経て掛川の盆地部に至ります。また、南に下ると菊川下流域の平野部に出ます。

城には丸馬出や三日月堀が3〜5箇所あり、枡形虎口などの遺構も残っています。
城の三方は台地の断崖で囲まれ、前面の巨大な空堀がこの断崖へと続いています。

■歴史
永禄12年(1569年)、今川氏は武田氏と徳川氏に挟撃され滅亡し、駿河は武田氏、遠江は徳川氏の領地となりました。
しかし両氏は対立を深め、元亀2年(1571年)に武田信玄は遠江南東部の高天神城を攻撃しますが、落城には至らず撤退しました。
翌元亀3年(1572年)、信玄は再び攻勢に出て二俣城などを落とし、三方ヶ原の戦いで徳川家康を破ります。

元亀4年4月(1573年5月)に信玄が病死すると、後を継いだ武田勝頼も遠江獲得を狙いました。
天正元年(1573年)の諏訪原城築城もその一環で、普請奉行馬場信春、その補佐を武田信豊に命じ、東海道沿いの牧之原台地上に城を築かせたとされています。
この築城についての史料は後代のものが多く、築城者の特定は難しいものの、この時期の築城は確実と考えられています(『武徳編年集成』には永禄12年(1569年)に「金谷城」築城とありますが、諏訪原城との同一性は不明)。

諏訪原城は台地の突端部を利用し、戦闘正面を限定させる構造で、小山城とともに大井川西岸の防衛線および高天神城への補給線を確保する重要拠点でした。

その後も勝頼は遠江への攻勢を強め、天正2年(1574年)には高天神城を手中に収めました。
しかし、天正3年(1575年)5月、長篠の戦いで武田軍は織田徳川連合軍に大敗。徳川家康は直ちに反攻に転じ、三河・遠江の武田氏の拠点攻略に乗り出しました。
諏訪原城も7月中旬から徳川軍に包囲され、今福虎孝や室賀満正、小泉昌宗らが抗戦しましたが、約1ヶ月の攻防の末、開城し城兵は小山城に退去しました。徳川氏が奪取したのは天正3年8月とされています。

攻略後、徳川氏はこの城を拠点に武田軍の監視・牽制や駿河国への攻撃を行い、高天神城への補給路を封じることで戦況を有利に導きました。
徳川氏はまた、城の大規模な改修を行い、現在見られる遺構はこの時代のものです。

その後、天正10年(1582年)3月の甲州征伐で武田氏が滅亡すると、牧野城の存在意義は薄れ、天正18年(1590年)に廃城となりました。

■遺構
土塁、曲輪、堀、馬出、井戸など

■指定文化財
国史跡

■ご城印

■場所

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■城巡り記録

2024年3月9日

昨年の夏行く予定だったのですが、当日雨予報だったり、一緒に行く息子が掛川城で疲れが出ていたため、改めて一人で行くことに。

静岡マラソンを走るため前泊したついでに少し足を延ばして新金谷駅まで行きました。

結構近いですね。

駅を降りて、せっかくここに来たらお城だけでなく旧東海道の石畳に行った方が良いとのことで、行ってきました。

坂道を上ったら旧東海道石畳入り口があります。

そこからさらに上っていくと石畳に到着です。

綺麗に敷かれた丸石が並んでいます。

木々の間の石畳がかなり良い感じです。

石畳を上って少し歩いたところに諏訪原城ビジターセンターがあります。

こちらに続100名城のスタンプとご城印がありますので、立ち寄りました。

まずはスタンプを押します。

続日本100名城の方はまだまだ先が長いですね。

ゆっくり楽しみたいと思います。

そしてご城印ですが、すんなり購入することが出来ません。

グッズ券売機というガチャガチャを300円でやることになります。

お金の管理が面倒なのでガチャガチャにしたのでしょうか。

ご城印以外にもクリアファイルや缶バッチなども300円です。

グッズ引換券を取り出し、受付に出したら無事ご城印をもらえました。

こちらのビジターセンターですが、しっかりと諏訪原城のことが学べます。

当時の城郭構造などは非常に分かりやすいです。

そしてジオラマになった丸馬出が真ん中に置かれています。

やはり立体で見ると攻めづらさがよく分かりますね。

当時は柵もあり、門もあり、なるほどこれならかなり攻めるのは難しいということが一目瞭然です。

そんな中、ジオラマの説明をビジターセンターの方がしてくれました。

そして隠れキャラがいることを教えてくれます。

まずはアシガールです。

先日漫画を読んだばかりなので、なんとなく親近感が湧きます。

次に大谷翔平。

なぜかバッドを持っている赤いユニホーム。

しかし、赤備えの鎧の中にいると分からないものですね。

最後がラグビーボールを持った人。

これもなかなか分かりません。

ジオラマだけでものすごい楽しめました。

そこから諏訪原城址へ。

まっすぐ歩いていくと丸馬出が見えてきました。

ちゃんと案内板もあってしっかりと整備されています。

丸馬出に近づいていくと大きい。

これは大きいです。

堀の部分が崩れていますが、先ほどのジオラマのおかげでしっかりとイメージが出来ますね。

そしてまっすぐ進むと再建された薬師門があります。

その先は崖になっているのですが、ここから見える富士山は素晴らしいですね。

この門を閉めると門と門の間に隙間があるそうです。

作りが悪いのではなく、敵が槍で門を閉まらないように挟んだとしてもわずかな隙間のおかげで閉めることができるとか。

かなり劣勢な状況ですな。

深い堀が続いていき、この向こう側の土塁の部分には木々が生い茂っています。

小さな馬出もかなり見ごたえがあります。

本郭から見える景色もまた素晴らしいですね。

そして諏訪原城の名前の由来の諏訪神社。

武田勝頼はもともと諏訪出身の姫の子供。

そのため武田家の正当な後継ぎとなれなかったなどありますけど、立派なものです。

帰りは元来た道を戻るのも何なんで、水の手曲輪から降りてみました。

結構急な斜面なんですが、道がちゃんとできていたので、ここを降りていけば道路に出れるだろうと思って進みます。

ちゃんと道路に繋がっていました。

こちらも諏訪原城址入り口となっています。

でも、先にビジターセンターに寄ってから見た方が良いかと思いました。

道を下って、駅に向かいます。

何処からも富士山が綺麗に見えていいですね。

諏訪原城を堪能しました。

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