「津山城」35城目@100名城 #岡山県

■城名
津山城

■別名
鶴山城

■所在地
美作国 苫田郡津山(現在の岡山県津山市山下)

■称号
日本100名城、日本三大平山城、日本さくら名所100選

■築城年
嘉吉年間(1441年~1444年)

■廃城年
明治6年(1873年)

■築城者
山名忠政

■主な改修者
森忠政

■主な城主
山名氏、森氏、松平氏

■天守
明治6年(1873年)の廃城令により天守・櫓などの建物が破却

■天守構造
独立式層塔型4重5階(非現存)

■城郭構造
梯郭式

■城分類
平山城

■縄張
津山盆地の中央部に位置し、城の東部を流れる吉井川支流の宮川及び丘陵の天然の断崖を防御線に取り入れています。
城の南部を流れる吉井川とその支流で西部に位置する藺田川(いだがわ)を外郭とし、その内側に城下町の主要部を形成しています。

■歴史
1441年 – 1444年(嘉吉年間)、美作国の守護大名であった山名教清が、一族の山名忠政に現在の津山城のある丘陵(鶴山)に鶴山城を築かせたのが最初です。
応仁の乱で山名氏衰退ののち廃城しました。
1603年(慶長8年)森忠政が18万6千石で入封し津山藩が立藩。
同年、現在見られる津山城の築城に着手。
また、城地の名を「鶴山」から「津山」に改めます。
1616年(元和2年)13年の歳月をかけ完成。
天守、櫓、城門などを合わせ80余棟が建ち並ぶ近世城郭となりました。

■遺構
石垣、堀

■再建造物
備中櫓、塀

■ご城印

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■城巡り記録

2022年1月16日

せっかく岡山まで来ましたので、岡山駅からはかなり離れていますが津山まで行ってみることにしました。

こちらには日本三大平山城である津山城があります。

駅を降りるとお城は霞んでいます。

それでも、平山城だけあってよく目立ちます。

駅前からすぐ橋を渡ったところは商店街になっているのですが、シャッター通りとなってしまっており閑散としていました。

お城の近くにきました。

入り口にはお土産屋さんもあります。

こちらがお城への入り口となります。

長い大手道の先に階段が見えます。

階段を上ると高い石垣が。

すごいきれいに積まれています。

案内図は桜がいっぱいです。

やはり春に来たいですね。

すぐ近くに「忘れ去られた石」が置かれていました。

これはこの近くの石切り場にずっと置かれていた石らしいですが、津山城築城400年を記念してこちらに運ばれたそうです。

大小さまざまな石が積み重なっています。

復元図も置かれていました。

津山城はなんと77の櫓が設置されていたそうです。

ものすごい多いですね。

この津山城を大規模に回収したのが、森忠政氏。

森忠政は本能寺の変で信長と共に死んだ森蘭丸の弟です。

織田信長の重臣、森可成の六男(末子) として産まれましたが、兄が戦死したため、小牧長久手の戦い以降、家督を継いだそうです。

津山城の入場券を購入します。

大人310円です。

あまり来城者がいなかったのですが、そのおかげでボランティアのガイドさんに案内してもら事が出来ました。

これは本当にラッキーでした。

切手門跡が入城口になっていて、入ると石垣がそびえたちます。

そこから上る階段があるのですが、こちらの階段は実は当時はなかったらしいです。

この階段は後で付けたもので、当時はこの場所に櫓が建っていたのだとか。

それが分かるのが石垣にある跡らしいです。

こんなことはガイドの方がいないと絶対に分からないです。

やっぱりガイドさんってすごいですよね。

階段を上ったところに鶴山館。

これは「かくざんかん」と読むらしいです。

津山藩に置かれた学問所だそうですよ。

ここからみる景色も素晴らしいですね。

江戸時代の中期である1698年頃から、結城秀康を祖とする越前松平家分家の松平宣富が10万石で入ったため、徳川家の親藩となっており、三つ葉葵の家紋が瓦に刻まれていました。

この日は霧が発生していて、ものすごい幻想的な景色になっていました。

素晴らしい場所ですね。

館内には城下町の町並みも描かれています。

武家と町人、神社が分かれているのがよく分かります。

徳川家康から連なる家系図もありました。

結城秀康は徳川家康の次男でしたが、結城家に養子にだされたこともあり、徳川の二代を継げず、秀忠となってしまいました。

なんか、不遇の人ですよね。

ここから本丸に上るのですが、一部石垣がない場所があります。

ここには火縄蔵という火薬庫があったそうです。

そのため土を残したようですが、そういうものなんですね。

それにしても、いたるところに石垣が張り巡らされています。

本当に素晴らしい石垣のお城ですね。

こちらに松尾芭蕉も訪れたようです。

まぁ、他にもいろいろなお城に行っているようですけどね。

二の丸から上にそびえ立つ備中櫓を眺めます。

それにしても、階段が広いですよね。

当時の門や塀がイメージされた絵もありました。

やはり塀や門があるとお城としての防御力の高さが分かります。

算木積された石垣。

一部には蚤の跡ものこっていました。

近寄って下から備中櫓を見てみます。

桜が咲いていたらすごいきれいなのでしょう。

こちらの石垣の勾配もすごいですね。

途中の石垣には苔むして、非常に趣がある場所がありました。

こういう歴史を感じるところも素晴らしいです。

階段なのですが、実はこちらも後で登りやすいように足されたようです。

右側の1段1段が高い階段が当時の高さらしいです。

高さがあり登りにくくなっています。

この辺の石垣は綺麗な切込接になっています。

階段に積まれた石は端が削られていました。

これは排水用に考えられたものらしいです。

そして石垣をよく見るとマークがついています。

この辺はガイドさんに教えてもらわないと見逃してしまいますね。

ゆっくりと本丸に上っていきます。

景色が非常に素晴らしいです。

川をうまく堀として活用していたのがよく分かります。

そしてこのお城から見える大きな学校がスポーツで有名な作陽高校らしいです。

津山の自慢の学校だったらしいのですが、倉敷の方に移転してしまったのだとか。

寂しいものですね。

本丸までしっかりとガイドさんに案内してもらいました。

いろいろ聞きながらめぐるお城がこれほど楽しいとは思いませんでした。

知らない知識を教えてもらいながらというのはいいものですね。

本丸は一部修繕工事がされていました。

こちらには向かい合った階段である合阪が見えました。

それでは備中櫓へ

こちらは復元されたもので、中には100名城のスタンプやご城印があります。

ガイドの方が廊下の板の間を持ち上げてくれました。

なんとここはトイレの外側らしいです。

汚物がこの下にたまり、ここから回収するために持ちあがるようになっているのだとか。

ガイドさんがいないとこんなこと分かりません。

こちらの瓦は鶴丸の森氏の家紋でした。

中には百名城スタンプが。

しっかり押して目的達成です。

森氏の家紋はJALのマークとよく似ています。

カッコいい。

ご城印が各種売られていた益田。

どれにしようか迷った結果、面倒なので全部購入してしまいました。

備中櫓の壁にうっすらと家紋が見えるのが凄いですよね。

二階は畳の間があり、こちらからの景色は素晴らしいです。

窓から石垣を見ると怖い。

さすが隅櫓として石垣の上に建っているだけありますが。

備中櫓を一周して、その隣の天守の方へ行きます。

天守台の石垣もしっかり残っており、こちらも素晴らしいですね。

こちらから見える景色は町が一望できます。

昔は城下町として武家屋敷などが立ち並んでいたのでしょう。

天守台に入ると「愛の奇石」がありました。

なんでもハート形の石だとか。

たしかにハート形に見えますかね。

まぁ当時はハートマークなんて知らなかったでしょうけどね。

天守台に登って当時を想像してみます。

でも、せっかくなので、ここに復元天守を作ってくれるといいなぁと思いました。

帰りは別の方向から降りました。

七番門と虎口

この階段上の石垣も素晴らしいですね。

こちら側の階段は結構な段差になっています。

こちらは本来の高さなのでしょう。

階段周りも苔が生えていい感じ。

階段の段差が高いので、横に補助用の階段も整備されていました。

こういった取り組みは当時のまま、観光にも役立ち良いのだと思います。

いたるところに石垣

石垣

石垣です。

石垣好きにはたまりませんね。

広大なお城で、ものすごく楽しめました。

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