「高田城」1城目@続100名城 #新潟県

■城名
高田城

■所在地
新潟県上越市本城(もとしろ)町

■称号
続日本100名城、日本三大夜城

■別名
鮫ヶ城、関城、高陽城

■築城年
慶長19年(1614年)

■廃城年
明治3年(1871年)

■築城者
松平忠輝

■主な改修者
松平光長

■主な城主
松平氏、稲葉氏、榊原氏

■天守
復興天守

■天守構造
御三重櫓
(3重3階不明1614年築 非現存)
(独立式望楼型3重3階 1993年 鉄骨造復興)”

■城郭構造
輪郭式

■城分類
平城

■縄張り
高田平野にある菩提ヶ原に築かれた平城
約230メートルから約220メートル四方の本丸を取り巻くように二ノ丸、南に三ノ丸、北に北の丸を配し、関川、青田川などを外堀として利用しました。
すべての曲輪に土塁が採用され、石垣は築かれませんでした。
低湿地に築城されたため排水設備が重視され、城地には現在の技術水準から見ても遜色ない暗渠が張り巡らされていました。
天守はなく、1614年に3重3階の三重櫓を建てて天守の代用としました。
当時の三重櫓の外観は不明で、江戸城の富士見櫓に似た外観であったと伝えられています。

■歴史
1607年 – 堀忠俊が福島城を築き、春日山城は廃城となる(越後福島藩の立藩)。
1610年 – 越後福嶋騒動によって堀氏は改易となる。
1610年 – 徳川家康の六男、松平忠輝が信濃川中島から福島城に75万石で入封。
1614年 – 忠輝が福島城を廃し、高田城を建築。
1616年 – 忠輝改易。酒井家次が上野高崎10万石から移封(10万石)
1618年 – 家次の子・忠勝が信濃松代に転封。松代藩主松平忠昌が高田25万9千石となる。
1623年 – 忠昌、越前福井藩50万石を相続。高田から移動。
1624年 – 松平光長(越後中将家)が26万石で立藩。
1665年 – 高田地震により建造物倒壊。三重櫓を建設。
1681年 – 越後騒動により、光長改易。
(この間、幕府直轄。信濃の大名が2人組ずつ1年交代で城代。)
1685年 – 稲葉正往が相模小田原10万2千石から移封、10万3千石。
1701年 – 稲葉正往、下総佐倉に国替え。佐倉の戸田忠真が交換移封6万8千石。
1710年 – 戸田忠真、下野宇都宮に移封。松平定重、伊勢桑名から移封。11万3千石。
1741年 – 松平定賢、陸奥白河に移封。
1742年 – 榊原政純が播磨姫路から15万石で入封。

創藩当時の高田藩は、親藩の大藩である越前福井藩と共に加賀前田藩を丁度挟む配置である上、日本海側東北地方の外様大名への押さえとして、幕府にとって重要な位置づけとされました。
その後、石高の減少や前田家と将軍家も縁戚を重ねるなどしたため、次第にその役割は小さなものとなっていきます。
元来気候の厳しい北国であること、松平忠輝の改易や越後騒動など相次ぐ事件の舞台であったことなどによって、幕府や諸大名にとって高田藩は負のイメージを抱かせるものとなり、江戸中期以降はしばしば親藩、譜代大名で不始末を犯した大名の懲罰的な転封先、いわば流刑地のような位置づけが強くなりました。

■見どころ
(遺構) 土塁、堀
(指定文化財) 県指定史跡
(再建) 三重櫓

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■城巡り記録

2021年10月31日

日本三大夜城にも選ばれている高田城に行ってきました。

せっかくの夜城なので、これは夜に行かなければと思い19時頃に行ってみましたが、なんとびっくりライトアップされていません。

一応緊急事態宣言は解除されたので大丈夫だろうと思っていたのですが、まだ戻っていないようです。

そんな高田城は真っ暗。

三重櫓もうっすらと見えますが、怖い。

これじゃない感満載です。

翌日の朝、駅前のホテルからお城の方を見てみると見えました。

夜城は無理ですが、しっかり見に行きたいと思います。

お城に入る手前には広い水堀があり、そこに極楽橋がかかっています。

結構幅がありしっかりした橋です。

堀の幅も非常に広いですね。

堀の中にはたくさんの鯉が泳いでいました。

堀を渡ったところには土塁が積んであります。

土塁もしっかりと残っていていいですね。

本丸の中心には現在は高校があります。

お城の跡に学校が建っているのもあるあるですね。

お城ブームが広がっていったら、学校は移転するかもしれませんが、まだ先の話になりそうです。

水堀が見事ですね。

現在はそれでも多くの場所が埋め立てられてしまいましたが、昔はものすごい水堀を張り巡らされたお城だったようです。

本丸の隅櫓として三重櫓が建っています。

高田城はこちらがメインですね。

階段をのぼった先に立派に構えています。

いいですね。

中は資料館となっており、高田城の歴史が学べます。

徳川家康の六男である松平忠輝が入城したのですが、その後拠点としての重要性がなくなり、さらにいろいろな騒動が起こったこともあり、不人気なお城だったようです。

改易されるといやな場所って、昔からあるんですね。

お城の中からは綺麗な水堀や景色を見ることが出来ます。

塀を上から見るのもいいですね。

ちょうど紅葉の季節なので、木々が綺麗でした。

桜の季節はさらに綺麗なことでしょう。

水堀にはたくさんの蓮が生えていました。

蓮茶が近くのお店で提供されています。

またいつか夜城を見に訪れたいと思います。

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