■城名
淀城(よどじょう)
■別名
てん城、新淀城
■所在地
京都市伏見区
■見ごたえ
★★
■築城年
元和9年(1623年)
■廃城年
明治4年(1871年)
■築城者
松平定綱
■主な改修者
永井尚政
■主な城主
久松松平氏、石川氏、稲葉氏他
■天守
非現存
■天守構造
連立式望楼型5重5階地下1階(1623年築)
■城郭構造
梯郭式
■城分類
平城
■歴史
淀城(よどじょう)は京都府伏見区淀にあり、江戸時代には京都防衛や政治の要所として重要な役割を担った城です。『徳川実紀』によれば、元和9年(1623年)に2代将軍徳川秀忠の命で松平定綱が3万5千石で淀藩主として入部し、淀城の最初の城主となりました。『淀古今真佐子』によると、廃城となった伏見城からの資材が用いられ、二条城の天守も移築されて築城されたと伝えられ、寛永2年(1625年)にほぼ完成しました。翌年には徳川秀忠や家光が訪れるなど、将軍家の関心も高かったことがうかがえます。
寛永10年(1633年)、松平定綱の美濃国移封に伴い、永井尚政が10万石で淀に入り、城下町の拡張や侍屋敷の造営が進められました。また、寛永14年から16年にかけて木津川の流路変更工事が行われ、町の整備も強化されました。その後も石川憲之、戸田光熈、松平乗邑、稲葉正知と城主が交代し、稲葉氏は幕末まで淀城を治めました。宝暦6年(1756年)には落雷により天守が焼失し、再建されないままでした。
幕末の鳥羽・伏見の戦いでは、旧幕府軍が淀城に籠城を求めるも藩に拒絶され、結果的に官軍勝利に貢献しました。淀城は廃藩とともに廃城となり、現在は「淀城跡公園」として城跡が残されています。
■遺構
石垣、堀、天守台、本丸跡、二の丸跡等
■場所
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■城巡り記録
2024年8月8日
京阪を淀駅で降りて淀城に行ってきました。
淀城は秀吉の側室茶々がいた城かと思っていたのですが、それはもう少し北にある淀古城のようで、この淀城は徳川の時代になってから建てられたものだそうです。
淀藩10万石との事ですから、結構大きな藩ですね。
譜代大名が歴代の藩主を務めていたとの事なので、重要な拠点だったのですね。
現在は公園になっていて、天守台のところに石垣が残っています。
徳川秀忠の頃に築城されたお城なので、石垣はもっときれいに切込接でも良さそうなのですが、野面積っぽいところもあり、ちょっと不思議な感じです。
天守台には木々が生えていて、一部柵があり中に入れなくなっています。
水堀も残っていて少しですが当時の面影がありました。
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