■城名
津久井城
■別名
筑井城
■所在地
神奈川県相模原市緑区
■称号
ご城印のある城
■築城年
鎌倉時代
■廃城年
天正18年(1590年)
■築城者
筑井氏
■主な改修者
■主な城主
筑井氏(津久井氏、築井氏)、相模内藤氏、後北条氏
■天守
不明
■天守構造
–
■城郭構造
–
■城分類
山城
■縄張
隣接する津久井湖はダム湖で、当時はありませんでした。
城山に築かれた山城であり、鎌倉時代に三浦党の筑井氏が築城したと言われています。
■歴史
大江(毛利)氏の津久井三郎の居館として現在地の詰めの城と、同八幡社の行政舎が整備されたと言われています。
城として使われ始めたのは戦国時代の後北条氏の時です。
この地は甲斐と小田原を結ぶ要所であるため武田軍と後北条軍が鎬を削ったところです。
後北条氏は武田軍にそなえて、津久井城主の内藤氏らを中心に津久井衆と呼び守らせましたが、実際は「敵半地」と呼ばれ、半分は奥三保(現在の裏丹沢)などの武田氏の勢力下(小山田氏を盟主とする郡内衆)でした。
1569年(永禄12年)の三増峠の戦いの時は、武田側の小幡信貞、加藤景忠ら上野原衆によって押さえられて出陣できませんでした。
1590年(天正18年)の小田原征伐の時には城主内藤景豊は小田原城にいたので、老臣等が守っていましたが、徳川家康の武将平岩親吉らによる攻撃により6月25日に開城しました。
その後城は廃城となり徳川直轄領となります。
■遺構
土塁、堀切、郭、土橋、虎口、石垣、石列
■再建造物
■ご城印
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■城巡り記録
2022年4月9日
微妙に桜が散ってしまった頃に津久井城に行ってきました。
津久井湖は知っていたし、近くにある城山湖もよくバイクでツーリングに行っていたのですが、実際にお城があったのはこの津久井湖の城山でした。
しかも、結構重要な拠点であったようで、北条氏と武田氏が争っていたお城のようです。
全然知りませんでした。
で、よくよく信長の野望をやってみると、ちゃんとこの津久井湖が出てきます。
ええっ、本当に重要な拠点だったのですね。
八王子城や滝山城は有名ですが、その近くにある津久井城はあまり知られていない気がします。
それでも、最近は神奈川県が頑張っているようで、ちゃんとご城印を作っていました。
実際に行ってみると、結構よい山城ではないですか。
なんとここまで20㎞のジョギングをした後に登ったので、結構疲れました。
さらに帰りも走って帰るので、また20㎞です。
でもトレランをやるなら良いコースかもしれないなぁと思いましたよ。
途中荒川登山道という方に行こうとしたら、こちらは土砂崩れが発生したらしく通行止めでしあ。
仕方がないので少し遠回りして女坂から登ってみました。
なかなか整備された良い山道です。
コロナ禍で人を避けるのにはもってこいの場所ですね。
高尾山に行くのなら、こちらに行った方が良いのではないかとも思えました。
本丸手前には太鼓曲輪がありました。
さらにしっかりと残っている堀切です。
なかなか深いですね。
ここには引橋がかかっていたそうです。
さらに進むと本城曲輪といわれている本丸があります。
ここには津久井城の歴史とかも記載されています。
筑井古城記碑もありました。
津久井の別名ですね。
本城曲輪にも土塁が残っています。
そしてここから見える津久井湖も綺麗ですね。
しかし、津久井湖はダム湖として近年つくられたものでして、戦国時代はなかったそうです。
ちゃんと当時の地形を把握しておかないといけないですね。
本城曲輪を太鼓曲輪の方に戻って逆に行くと飯縄神社に行けます。
こちらも当時から飯縄曲輪とも呼ばれ、神社があったそうです。
その裏手が荒川登山道ですが、当然降りる方も通行止めでした。
残念。
この辺に灯火台があったそうです。
帰りは男坂から降りました。
こちらの傾斜はかなりえぐいでうs。
滑って転んだらいたそうですね。
雨の日は来てはいけません。
男坂を降りると湖畔展望園路という整備された道に出ます。
こちらは湖や山を眺めながら、しっかりと整備された道を歩けるのでいい感じです。
予想以上に楽しめる場所でした。
津久井湖に遊びに来たら、ぜひ津久井城にも上ってみると良いかと思います。
往復1時間強でしょうか。
湖を眺められる場所としては最高ですね。
また来たいと思います。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
人気ブログランキング
お城巡りランキング
お城・史跡ランキング