■城名
福岡城
■所在地
福岡県(筑前国那珂郡警固村福崎)
■称号
日本100名城
■別名
舞鶴城、石城
■築城年
1601年
■築城者
黒田長政
■主な改修者
黒田長溥
■主な城主
黒田氏
■天守
不明
■天守構造
不明
■城郭構造
梯郭式
■城分類
平山城
■縄張り
梯郭式の平山城で、本丸の南西に南丸(南二の丸)、北東隅に同じような規模で東二の丸、この2つを結ぶようにして囲む二の丸、二の丸の西から北東に三の丸が囲む配置であった。建物は47基の櫓や10棟の城門を配し、縄張りの範囲は約24万平方メートルにおよぶ[9]。東側に那珂川をもって堀とし高石垣を南北に長く築き、また西側は干潟の「草ヶ江」を大きな池沼堀として活用した。城下町は城の北側(博多湾側)に東西に長く開かれた。
歴史 “1600年(慶長5年) – 黒田孝高・長政父子は関ヶ原の戦いの功績により豊前国中津16万石から、筑前一国52万3千石で筑前名島に入封した。筑前の旧領主小早川秀秋の居城であった名島城に入城した。
便宜上から名島城を廃し、福崎丘陵を新城地に選定した。1601年(慶長6年)には築城が開始され、7年後の1607年(慶長12年)に竣工した。
江戸期には歴代の藩主により二の丸御殿や西の丸御殿の増築など数度の改修が行われたが、特に幕末の嘉永・万延年間に、11代藩主、黒田長溥により大改修が行われた。
■見どころ
(遺構)櫓4棟・門3棟、石垣、堀
(国の重要文化財)南丸多聞櫓・二の丸南隅櫓
(再建)二の丸北隅櫓、大手門
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