■城名
小牧山城(こまきやまじょう)
■別名
小牧城
■所在地
愛知県小牧市堀の内
■見ごたえ
■称号
続日本100名城
■築城年
永禄6年(1563)
■廃城年
永禄10年(1567)
■築城者
織田信長
■主な城主
織田氏、徳川氏
■天守 なし
■城分類
平山城
■縄張
小牧山(こまきやま)は、愛知県小牧市にある標高86mの山。
平野の真中にある為、山の頂上にある小牧城からは周囲を見渡す事ができます。
山の大きさは、東西約600メートル、南北約400メートルで、山全体の総面積は、約21ヘクタール。
かつてこの山の頂上には、織田信長の命令により、山城が建てられていました。
この城は、後に徳川家康が小牧・長久手の戦いで使用した事で有名です。
■歴史
織田信長が美濃攻めの拠点として築城し、後の小牧・長久手の戦いでは、徳川家康の陣城となりました。
濃尾平野の独立峰である小牧山に築城された城で、織田信長が美濃攻めを終えるまでの4年間しか使用されませんでした。
このため、急造の砦に近いものと想像されていましたが、近年の発掘調査の結果で、城郭を取り巻く三重の石垣(三段の石垣で一番下の段は腰巻石垣)が発見されました。
そして城の南部の発掘調査では、小牧山築城によって移転してきた住民によって営まれた町割も発見され、これにより小牧山城は戦時急造の城ではなく、清洲城に代わる新たな拠点として築かれた城郭であることが判明しました。
●小牧・長久手の戦い
天正12年(1584年)、羽柴秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いでは、家康がいち早く小牧山に目を付けて本陣を置き、遅れてきた秀吉を悔しがらせたといわれています。
この時、信長の築いた城跡の土塁、空堀などに大規模な改修が施され、「城」とみなせるほど強固な陣地が築かれました。
秀吉の大軍も容易に手が出せず、焦った池田恒興や森長可が三河への無謀な長駆攻撃を敢行し、長久手方面へ突出して壊滅する事態となります。
急造「小牧山城」は、徳川勝利の一翼を担い、この一戦は、頼山陽により「家康公の天下を取るは大坂にあらずして関ケ原にあり。関ケ原にあらずして小牧にあり」と称揚されました(『日本外史』)。
■遺構
曲輪、石垣、土塁、井戸
■指定文化財
国史跡(小牧山)
■再建造物
城郭風建造物(小牧市歴史館 小牧城)
■ご城印
■場所
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■城巡り記録
2023年8月21日
NHKの大河ドラマどうする家康で小牧長久手の戦いが放映された翌日に息子と小牧山城に行きました。
前日夜に名古屋のホテルで小牧山城の土塁に隠れて塀が移動した場面を見たので気分が高まります。
夏休み中だし、昨日放映したためものすごい混んでいたらどうしようと少し心配になりましたが、全く無用でした。
電車とバスを使って小牧市役所前で降りると小牧山城です。
早速土塁を見に行きました。
確かにすごい土塁です。
内側に堀が掘られているので、これなら隠れて移動できそうですね。
通常は土塁の手前に掘りを作って侵入を防ぐので、この作りは面白いです。
そこから、山を登っていきます。
平山城ですが、結構な山です。
途中大手道があります。
階段が綺麗に整備されていました。
整備された山道をのぼっていくと頂上の天守に着きます。
石垣跡など、発掘中のところもあり、見どころは多いです。
天守で続100名城のスタンプを押して、息子は殿様気分の部屋へ。
景色は非常に良いですね。
ちょうどスタンプラリーをやっていて、息子がスタンプを全部回りたいというので、ここからやり始めます。
石垣や土塁など、スポットをしっかり押さえたスタンプラリーは、いいですね。
下に降りて、周りの土塁も見ます。
土塁の断面図などもあり、非常に良かったです。
息子とのお城巡りでたくさんのお城を見ましたが、その中でも最も良かったお城は小牧山城とのことでした。
子供でも楽しめる場所のようです。
ドラマでやった場所に実際に足を運ぶのは非常に良いと思いました。
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