「伊賀上野城」36城目@100名城 #三重県

■城名
伊賀上野城

■別名
白鳳城、上野城

■所在地
三重県伊賀市上野丸之内

■称号
日本100名城

■築城年
天正13年(1585年)

■廃城年
明治4年(1871年)

■築城者
筒井定次

■主な改修者
筒井定次
藤堂高虎

■主な城主
服部氏
仁木氏
筒井定次
脇坂安治
藤堂氏

■天守
木造模擬天守

■天守構造
不明5重(完成間近に倒壊)
層塔型3層3階(復興、木造・1935年築)

■城郭構造
梯郭式

■城分類
平山城

■縄張
上野盆地のほぼ中央にある上野台地の北部にある標高184mほどの丘に建てられた平山城。
北には服部川と柘植川、南には久米川、西側には木津川の本流が流れ、城と城下町を取り巻く要害の地。
かつて上野城の場所には要塞としても利用された平楽寺や仁木氏館がありました。

■歴史
織田信雄(北畠信雄)の家臣である滝川雄利は平楽寺の跡に砦を築いたが、小牧・長久手の戦いの際に脇坂安治によって落城させられました。
その後天正13年(1585年) に筒井定次によって改修を受け、慶長16年(1611年)に徳川家康の命を負って藤堂高虎が拡張しましたが、大坂の陣によって、当時高虎が従属する家康に対立していた豊臣氏が滅んだため築城が中止されます。
本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のまま江戸時代を過ごしました。

■遺構
曲輪、石垣、横堀(水堀)、武具蔵

■再建造物
模擬天守、石碑、説明板

■ご城印

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■城巡り記録

2022年7月23日

真夏の暑い日に伊賀上野城に行ってきました。

伊賀上野城といえば、藤堂高虎が築城した高石垣。

1611年(慶長16年)に「打込はぎ」の技法で築かれ、根石より天端まで29.7mの高さを誇るそうです。

駅から向かってすぐ見えるのが高石垣ですが、直線に伸びた綺麗な石垣に驚きました。

これだけの石垣を作るのはどれほど大変だったのでしょうか。

城内に入ります。

長くなだらかな階段を上っていくと本丸にでます。

本丸からはさらに石垣が発掘されたそうです。

こちらも見事な石垣ですね。

伊賀上野城が出来る前の筒井古城の本丸跡のようです。

そちらから天守を見るときれいにそびえ立っています。

三つの天守閣 – 伊賀上野城

当地選出の代議士、川崎克が多くの支援者の協力を得ながら私財を投じて藤堂氏の天守台に建てたものらしいです。

昭和10年(1935)10月18日に完成したものだとか。

藤堂高虎が建てた天守は台風で倒壊したそうですが、昭和になって建てられた天守も地元に愛させる天守として評判のようです。

入場料は大人600円です。

こちらの窓口で100名城スタンプが押せました。

入場チケットも可愛らしくてよい感じですね。

こちらでご城印、そして藤堂高虎の武将印なるものもありました。

どちらも購入しましたよ。

さらに、ご城印帳も売られていました。

こちらはポケットタイプになっているので張り付けなくてよいものです。

他のお城で売っているご城印帳よりも一回り小さいのですが、せっかくなので購入しました。

そして、伊賀上野城といえば忍者です。

こちらには忍び井戸なるものがありました。

この井戸は外につながっていて、いざという時に逃げられるそうです。

城内は展示場となっています。

当然、藤堂高虎の品が多数展示されています。

藤堂家の家紋である蔦家紋

そして藤堂高虎の兜も展示されていました。

しかしですね。この兜。目立ちすぎではないですかね。

横幅がありすぎて、振り向いたら隣の人に当たりそうです。

こちらは昭和に天守を再建した川崎氏。

天守からの景色です。

伊賀上野が一望できます。

瓦には藤堂家の家紋である蔦が描かれていました。

天守をでて今度は高石垣を上から見たいと思います。

天守のすぐ近くに高石垣があります。

石垣の上の部分はしっかりしていますが、それでもこの石のすぐ向こうは崖ですよ。

怖いです。

さすがにこの石垣を登りたいとは思いませんね。

こんな大きな石を良く積んだものです。

伊賀上野城。

他にも忍者屋敷など子供が楽しめる場所も盛りだくさんです。

非常に良いお城でした。

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