「太田城」63城目@日本の城 #和歌山県和歌山市

■城名
太田城(おおたじょう)

■別名

■所在地
和歌山県和歌山市太田

■見ごたえ

■称号
三大水攻め城

■築城年
延徳年間(1489〜1492)

■廃城年
天正13年(1585)

■築城者
紀俊連

■主な改修者
太田左近

■主な城主
紀氏、太田氏

■城分類
平城

■縄張
来迎寺が太田城の本丸跡と伝えられています。
太田城は現在の来迎寺・玄通寺を中心に東西に二町半(約273m)、南北に二町(約218m)と言われていますが、近年の発掘調査からはほぼ二町半の四方でした。
そこに周囲に深い堀をめぐらし、塁上は土壁とし、各所には高い櫓を設け、城門は大門・南大門・西北門があり、平城ですが当時の城としては強固な城造りであったと思われています。
その東にあった大門は和歌山市橋向丁の大立寺に移築されています(和歌山市指定有形文化財)。

■歴史
太田城は延徳年間に、紀伊国造第64代紀俊連が、神領保護を目的として秋月城・三葛城・太田城を築城したと伝わっています。
●第一次太田城の戦い
1577年(天正5年)に織田信長が雑賀城に侵攻するにあたって、雑賀衆の中にも織田信長軍に協力した者がいました。
太田左近を党首とする宮郷衆らであり、織田信長軍が雑賀の地から撤退すると、これに遺恨を持っていた雑賀衆が兵をあげ報復を開始します。
これに応じた織田信長は佐久間信盛を総大将に八万の増援軍を雑賀を送り込みますが制圧に失敗。その後、太田左近は根来寺の僧兵を味方にし、かなりの攻城戦があり一進一退を繰り返し、1カ月間も戦いが続いていましたが太田城の守りは堅く雑賀衆は攻め切れず、雑賀孫一は太田左近に和睦を申し入れ停戦が成立しました。
また佐武伊賀守は、この城攻めについて宮郷に雑賀の者が出耕作が妨げられるので、奪い取ってしまえとなったらしく、鍬をもって堀を崩し、別動隊は根来寺や宮郷からの応援隊を迎撃しました。

●第二次太田城の戦い
根来寺を中心に「紀州惣国一揆」と呼ばれ、寺領72万石を有しており3万兵の僧兵を養っていました。
羽柴秀吉はこの寺領を全部納めるよう命じましたが、抵抗を態度で示したものでした。これが紀州征伐の原因となったとされています。
天正13年(1585年)3月10日、羽柴秀吉自らが総大将に、羽柴秀長・羽柴秀次を副将とし10万兵で出陣し、同年3月21日千石堀城から太田衆・雑賀衆・根来衆連合軍の諸城を次々に落城させていきました。
次いで同年3月23日、風吹峠と桃坂の二方向から根来寺を攻め立てます。
根来寺は当時堅固な要害であったが焼き払われてしまいました。
羽柴秀吉軍の次の目標は太田城に向けられます。
太田衆と根来衆の残存兵力を合わせてもわずか3千-5千兵で、この時雑賀衆の一部は羽柴秀吉軍と手を結び、また総本山であった根来寺も焼かれ、孤立無援の状況でした。
しかし、太田左近は城兵に対して士気を鼓舞し、羽柴秀吉軍は堀秀政が率いる先陣3千兵と長谷川秀一が率いる第二陣3千兵の合計6千兵の斥候隊を繰り出して太田城へ向けて攻撃を開始します。
田井ノ瀬橋付近から紀ノ川を渡河したが、そこに太田城からの待ち伏せがあり鉄砲隊と弓隊から攻撃され53名が討ち取られました。
斥候隊の敗北により容易には攻め切れずとみたのか水攻めに切り替えます。
紀の川の水をせき止め、城から300m離れた周囲に堤防を築きました。
堤防の高さは3-5m、幅30mで東の方は開け、6kmにも及んだと言われています。
工事に要した人数は46万92百名。昼夜突貫工事で6日間で仕上げたと思われています。
同年4月1日より水を入れ始め、4月3日から数日間大雨が降り続け、水量が増し始めました。
そのため城の周りは浮城のような状態になります。
羽柴秀吉軍は太田城から北1kmの黒田という場所に本陣を構えたと言われていますが、跡に関しては明らかになっていません。
水で囲まれた太田城に羽柴秀吉軍は中川藤兵衛に13隻の安宅船で攻めさせ、船の先端には大きな板を建てて、鉄砲や弓矢から攻撃から守るため改造しましたが、太田城の城兵の中で水泳の名手を選び、船底に次々と穴をあけ沈没させ、また押し寄せる攻城兵には鉄砲で防戦しました。
また同年4月9日、松本助持が切戸口間の堤防150間決壊させ、宇喜多秀家の陣営に多くの溺死者を出した。この時羽柴秀吉軍は60万個の土俵を使って数日に堤防を修復したと伝わっています。

太田城では、増水するにつれて工夫して防衛してきましたが、1カ月になる籠城に次第に物心両面で衰えが見え始め、同年4月24日蜂須賀正勝・前野長康の説得に応じて、太田左近をはじめ53名が自害しました。”

■遺構
曲輪、土塁、横堀(空堀)、移築門
指定文化財
市文化財(大門)

■ご城印

■場所

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■城巡り記録

2023年8月20日

和歌山に来たので、あまり遺構は残っていないそうですが、日本三大水攻め城といわれている太田城に行ってきました。


のぼうの城で有名な忍城や清水宗治で有名な備中高松城は水攻めでよく知られているのですが、この太田城も水攻めのお城だそうです。

和歌山駅から少し歩いたところにある来迎寺というお寺が昔の太田城の場所だろうと伝えられています。


信長が雜賀城を攻めるため太田城を落とそうと佐久間信盛を送ったが落としきれず、その後秀吉が水攻めで落としたとか。

今はお寺の中にある石碑のみですが、この辺一体がものすごい戦いの舞台になったようです。

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