「備中松山城」33城目@100名城 #岡山県

■城名
備中松山城

■別名
松山城、高梁城(たかはしじょう)

■所在地
岡山県高梁市内山下1

■称号
現存12天守、日本100名城、日本三大山城

■築城年
1240年

■廃城年
明治7年(1874年)

■築城者
秋庭三郎重信

■主な改修者
三村元親、水谷勝宗

■主な城主
三村氏、水谷氏、板倉氏

■天守
現存天守

■天守構造
複合式望楼型2重2階(天和元年(1681年)改)

■城郭構造
連郭式

■城分類
山城

■縄張
現存12天守城で唯一の山城です。
城のある臥牛山(松山)は4つの峰からなり、小松山に本丸・二の丸・三の丸が階段状に配され、大松山、天神の丸、前山にも遺構があります。
海抜約430mの臥牛山小松山山頂の本丸へは、麓の城下町から約1,500m、1時間ほどの道のりです。
この城は戦に備えて建設された「詰の城」であり通常はあまり使われていなかったと思われます。

■歴史
仁治元年(1240年)、秋庭三郎重信が備中有漢郷(現・岡山県高梁市有漢町)の地頭となり大松山に最初の城を築きました。
元弘年間(1331年頃)、高橋宗康が小松山まで城を拡張。
元亀元年(1570年)には元親が備中に兵を進めた宇喜多直家を迎え撃つために出撃した際に、直家と通じた庄高資・庄勝資親子に松山城を占拠されるという事態が起こりましたが、翌元亀2年(1571年)2月に穂井田元清の協力の下で庄高資を討ち、松山城を奪還しました。
天正2年(1574年)、三村元親は毛利氏から離反し織田信長に寝返り、翌年にかけて三村氏と毛利氏の争いが続く(備中兵乱)中、城は毛利方の小早川隆景により落され、元親は自害しました。
備中兵乱の後、毛利氏の領有となりました。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで毛利氏が西軍につき敗れた後、江戸幕府が城番(小堀正次・政一)を置いた。この頃、麓に御根小屋が築かれました。
元和3年(1617年)、池田長幸が入城し、6万3000石で立藩するが、寛永18年(1641年)、2代長常が嗣子なく没したため同家は廃絶。備後福山藩主の水野勝成家臣が城番となりました。
翌寛永19年(1642年)、水谷勝隆が5万石で入封。2代勝宗は天和元年(1681年) – 天和3年(1683年)にかけて天守建造など3年にわたる大修築を行い、城は現在の姿となりました。
しかし、3代勝美は嗣子なく元禄6年(1693年)10月に死去。その養子となった勝晴はわずか1か月後の同年11月に13歳で早世し、水谷家は断絶します。
水谷家断絶後は赤穂藩主・浅野長矩が城の受取りにあたり、家老・大石良雄が城番となります。
元禄8年(1695年)、安藤重博が6万5000石で入封するが、正徳元年(1711年)に転封。同年、石川総慶が6万石で入封。
延享元年(1744年)、石川氏が転封になると、板倉勝澄が5万石で入封し、明治時代まで板倉氏が8代続きました。

■遺構
現存天守・櫓・塀、石垣、土塁

■ご城印

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■城巡り記録

2022年1月15日

冬の備中松山城に行ってきました。

備中松山城の最寄り駅である備中高梁駅はなんか見たことがあるなぁと思っていたのですが、エキナカに図書館があり、その図書館が民営されていることが以前ニュースになっていました。

駅からは結構な距離がありますが、歩いて登ることにします。

しばらく歩くと石火矢町ふるさと村がありました。

こちらでは武家屋敷が立ち並んでおり、有料ですが中に入ってみることが出来るそうです。

しかし、本日の予定はかなり詰まっているのでスルーしました。

川沿いに出て登っていきます。

案内板もたくさんあって分かりやすいです。

橋を渡ると石垣がありました。

これは築城時に作られたものでしょうか。

そして、登山口に到着です。

店主まで1500m。

山道なので1時間くらいかかるのでしょうか。

時間は8時40分です。

少し速足で登っていきたいと思います。

気持ち良い山道です。

しっかり整備されていてよい感じ。

しかし、誰もいません。

朝早いからでしょうか。

この山は臥牛山という標高420mの山だそうです。

ガンガン登っていきました。

猿が生息しているらしいです。

そういえば、お城が獣害にあっていたようです。

猿が住み着いていたのかもしれませんね。

登りやすい山道なので、普通の靴でも大丈夫そうです。

私はランニングシューズで行きました。

野猿に対する注意書きがあります。

目を合わさないこと。重要ですね。

山道に階段も整備されていて登りやすい。

トレランをやるなら走って登るのもありだなぁと思いました。

途中、大石良雄の腰掛石がありました。

大石良雄といえば、忠臣蔵の大石内蔵助のことですね。

赤穂浪士のはずですが、この備中にも関係があったとは知りませんでした。

どうやら、城主の水谷家が断絶した後、浅野家が受け取り、大石が城番となったようです。

赤穂から結構距離があるような気がしますが、すごいですね。

山道から急に整備された階段が見えてきました。

どうやら中腹にあるふいご峠のようです。

到着は8時56分。

登山口から16分で来ることが出来ました。

意外と近いですね。

車でここまで来れるようですね。

駐車場がありましたが、車はないです。

普通の人はここから遊歩道で歩いていくみたいです。

木の枝を使った杖も置かれていました。

ここから先は整備された道が続いています。

階段多めですね。

途中に城主の立て札が多数ありました。

そういえば、ここの城主はさんじゅーろーという猫で人気者だとニュースでやっていました。

今日は会えるのでしょうか?

途中分かれ道があり、整備された階段を上ってみたら

道にでました。

まだ上まで車で行けるんですね。

ここからの景色もきれいです。

元の道に戻って、階段を上ります。

地味に階段が多く、疲れますね。

登っていくと石垣が目の前に。

かなりカッコいい石垣ですね。

打込み接ぎですが、隅はしっかりとした算木積でそり立っている感じが、非常にいいです。

石垣の上からの景色もまたいいですね。

高張の町が一望できます。

さらに上っていきますが、ここにまた城主の立て札が。

この場所がまだ中間地点らしいです。

少し心が折れますね。

さらに上ると整備された階段が。

山城の階段に手すりはあまり合わないような・・・。

城主の立て札。

帰りは別の方から降りてみたいと思います。

そしてついに有名な石垣が見えてきました。

これは近づくとゾクゾクします。

なんでしょうか。この圧倒的なスケールは。

NHKの大河ドラマ真田丸でオープニングに使われたそうです。

真田とは全く関係ないのですが、石垣がイメージにマッチしたため使ったという説明がありました。

たしかに、この天然の岩の上に石垣が積まれていて、ものすごいです。

これは、本当に一生に一度は見ないといけない景色という感じがします。

来れてよかった。

そこから、石垣と塀に沿って登っていきます。

この石垣も見事ですね。

道も折れ曲がっていて、山城でさらにここまで来てもまだ攻めづらいという難攻不落な城という感じが現れています。

塀もちゃんと整備されているとより攻めづらさが分かります。

しかし、このお城がこの形になったのは江戸時代に入ってから。

すでに徳川政権が盤石となっていて平和な時代だったらしいです。

3年かけて大改修したとのことですが、それを行った水谷家の趣味だったのではないかと言われているとか。

しかし、趣味でここまでのお城を作れるなんて最高ですね。

この連なった石垣なんて、なかなか作れるものではありません。

趣のある石段をゆっくり登っています。

するとついに天守が見えてきました。

時間は9時15分です。

登山口から35分。ふいご峠から20分ほどで到着しました。

結構近かったです。

階段の先に天守が見えます。

ここまで登ると景色は非常に良いですね。

備中松山城の沿革をしっかり読んでみました。

さて、それでは天守に向かいます。

天守に向かう階段。

隅櫓には石落としもあります。

入り口でご城印が売っていました。

通常のご城印とさんじゅーろーのご城印の2種類。

さらにドラクエウォークとのコラボご城印もあり、3種類購入しました。

さらにこちらで100名城スタンプも押せます。

インクが出すぎて、大失敗してしまいました。

天守前の本丸です。

天守も岩の上に建っており、この岩の感じが非常に良いです。

本丸からみる景色はさらに良いですね。

川も見ることが出来ます。

天守への入り口は一段石垣が下がった形になっています。

中に入るといろいろなものが展示されていました。

しゃちほこもちゃんとありました。

現存天守らしく、梁の感じがいいですね。

でも、改修した時には大きく風化していたようですので、この梁とかが当時からのものかは分かりません。

大政奉還時の備中松山城の話

戊辰戦争時の備中松山城の話

備中松山から高梁へ変更されたときの話など、子供にも分かりやすく解説がされています。

こちらは囲炉裏だそうです。

天守に囲炉裏があるのは珍しいようで、部屋を暖めたり、ご飯を作ったりしたそうです。

梁が見事ですね。

武者窓があったので、のぞいてみました。

これなら敵が攻めてくるのもよく見れます。

せっかくのめったに観れない現存天守ですので、当時の木材加工技術などをしっかり観たいと思います。

江戸時代にここまでしっかりと作れるのですからすごいですよね。

電動の機械はないので、全部手でやっていたなんて考えられません。

石落としを中から見てみます。

普段はちゃんと蓋が閉まっています。

天守の周りを一周回ってみました。

石垣もしっかりとしています。

それにしても天然の岩の上に良く積まれたものです。

岩は岩ですごいなぁと思います。

瓦にはちゃんと家紋が入っていまいた。

天守の隣には二重櫓があります。

こちらは門が閉まっていました。

一旦有料のエリアを出て、外を回ってみました。

天守周りの石垣もしっかりした作りです。

塀があると守りが強固なことが分かりやすいですよね。

石垣がやはり素晴らしいですね。

苔むした感じが非常にいいです。

綺麗な石垣よりこういった趣のある石垣の方がよく見えるようになったのはいつからでしょうか。

気が付いたら歳をとったということかもしれません。

天守周りの道も非常に良いです。

見上げると二重櫓も見えます。

こちらは九櫓があった場所です。

後ろには二重櫓につながっている階段があります。

本当はこちらからも入れるんですね。

非常に大きな石がごろごろと転がっています。

手前が二重櫓で、奥が天守です。

こちらからの景色もいいですね。

よく見てみるとこの二重櫓、非常にいいじゃないですか。

この石垣の下の岩がいいですよね。

本当はもっと奥にも続いているのですが、今回は時間の都合上ここで引き返すことにしました。

元来た道を戻ります。

帰りはもう一方の道から降りてみました。

長い階段が続いていて、その先は車の通れる道になってました。

結構車が上の方まで来れるようになっていたんですね。

寒いため道がまだ凍っています。

帰りも山道を降りていきました。

途中にひっそりと地蔵様が。

予想以上に素晴らしいお城でした。

感動です。

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