■城名
守谷城(もりやじょう)
■別名
-
■所在地
茨城県守谷市本町
■称号
市史跡
■築城年
鎌倉時代
■築城者
千葉師常
■主な城主
千葉氏、相馬氏
■城分類
平城
■縄張
地勢的には利根川、鬼怒川、小貝川に面する海上交通貿易、脇往還としての陸上交通の要所であり、同時に北方勢力に対し江戸を守る要衝となっています。
各曲輪の間には土塁と特徴的な空堀が配置されています。
北条氏時代に障子堀なども設置されているのが特徴です。
北条氏の勢力圏における東北の守りとして、当時の先進的な築城技術が用いられたものと思われます。
■歴史
平将門の創建と言い伝えられています。
当時は霞ヶ浦に連なる大湖沼地帯に面し、本丸のあった出島の部分のみの天然の要塞でした。
源経基が3万の軍で将門城を攻め落としました。
その後、源頼朝の有力な家人であった千葉常胤の子小次郎師常が相馬一郡を領有し拡張され5連郭からなる相馬治胤の城(相馬城)となっていました。
豊臣秀吉の小田原征伐での後北条氏没落により、浅野長政軍が松戸小金城を落した次に、天正18年(1590年)5月相馬城を攻め落としました。
徳川家康が関東に移封されると文禄2年(1593年)土岐定政が守谷領を受取り入城し、6連郭の城とし城下町や寺社を整備します。
■遺構
曲輪、土塁、横堀(空堀)、枡形
■場所
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■城巡り記録
2022年12月7日”
茨城県の守谷城に行ってきました。
You Tubeで守谷城があり、昔は水城でかなり堅牢な城であったという説明をしていて非常に興味を持って、行ってみることにしました。
守谷城址公園はしっかりと整備された良い場所でした。
バイクで行ったので駐車場に止めて歩きます。
池が見えたのでまず池の周りを歩いてみました。
イノシシに注意の看板がありました。少しドキッとしますね。
イケを回ると左右に土塁があります。
左の土塁の方は妙見郭だそうです。
本郭から離れた場所にあります。
少し小高い場所になっていて物見には良さそうです。
戻って少し歩くと藪の間が道になっていました。
なかなか良い小道です。
ここをくぐると本郭につきました。
守谷城はこの本郭より二の郭の方が高い場所にあるそうです。
この辺は実際に間に水が無いとなぜそうなっているのかわからないですね。
実際には渡櫓なるものもあったのだとか。
この辺も復元されると面白いかもしれませんね。
郭の間の堀を歩きました。
結構深いです。
更にこの場所は障子堀となっていてそうです。
障子堀といえば山中城が有名ですが、この辺も同じ北条氏です。
色々な説明書きがありましたが、北条氏は小田原から遠くの主戦場となりそうな城の方が色々と工夫をしていたそうです。
この守谷城は確かに北条氏の境界上にある城なので、重要拠点だったと思われます。
郭は結構存在します。
非常に良いのが、色々な説明が記載されていたので、子供にも分かりやすいところです。
こんなところから天守が無いお城も好きになってくれるといいなぁと思います。
この辺は湿地帯ですので、やはり水があったら非常に攻めにくいお城であったと思います。
良いお城でした。
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