「小浜城」103城目@日本の城 #千葉県

■城名
小浜城(こばまじょう)

■別名
上総小浜城

■所在地
千葉県いすみ市

■見ごたえ
★★★

■築城年
明応二(1493)年

■築城者
鑓田勝定

■主な城主
鑓田氏

■城分類
海城

■歴史
●小浜城(おばまじょう)について
小浜城は、明応2年(1493)、万木(まんぎ)城主・土岐頼定の命により、その家臣である鑓田美濃守勝定(やりた みののかみ かつさだ)によって築かれたと伝えられています。

●落城と奪還の伝承
戦国時代も末期にさしかかった天正16年(1588)、鑓田勝定は、館山城主・里見義頼の命を受けて遠征中でした。『房総治乱記』や『関八州古戦録』によれば、勝定は伊豆の網代城、または相模国三浦方面への出兵で不在の間、勝浦城主・正木左近大夫正春(あるいは正康)が小浜城を急襲します。正木軍はわずか150騎で攻撃を仕掛け、城代・鹿草権之助(しかくさ ごんのすけ)以下、多くの兵が討ち死にまたは自害し、小浜城は落城したと伝えられています。

この状況を受けて、里見義頼は丸城主・山川豊前守を派遣して城の奪回を試みましたが失敗に終わります。その後、勝定自身も帰国して再奪還を試みるものの、すぐには成功しませんでした。

●奇襲による再奪還の伝承
天正17年(1589)3月3日、勝定は一計を案じます。夜中に大工2〜3人を乗せた小舟を、城の東北にある切り立った崖下に忍ばせ、ひそかに梯子を製作。忍びの者を城内に侵入させ、館(たち)に火を放つ混乱の中で正木軍を追い払い、ようやく小浜城を奪還したと伝えられています。

●史実との距離
しかしながら、この一連の攻防に関する記述は、軍記物に基づくものであり、前後関係や家臣団の配置状況などを慎重に検討すると、いくつか不自然な点も見受けられます。そのため、すべてを史実として受け止めるには疑問が残る部分もあることに留意する必要があります。

■ご城印

■場所

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■城巡り記録

2025年3月14日

入り口が分かりづらかったのですが、何とかたどり着きました。

小浜八幡神社に現在はなっています。

海岸沿いの崖にあり、見晴らしの良い場所です。

この辺の岩はすごい大きいですね。

削られて作られたのでしょうか。

神社から見る曲輪跡も良い感じ。

すぐ横に丹ケ浦という湾があり、船を止めていたのでしょうか。

反対側は漁港が見えます。

ちゃんと小浜城址の石碑もありました。

良い場所ですね。

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