「大多喜城」6城目@続100名城 #千葉県

■城名
大多喜城

■所在地
千葉県夷隅郡大多喜町

■称号
続日本100名城

■別名
大滝城、大多喜城

■築城年
大永2年(1521年)

■廃城年
明治4年(1871年)

■築城者
真里谷信清

■主な改修者
本多忠勝、阿部正次

■主な城主
真里谷氏、里見氏、本多氏、阿部正次、青山正俊、阿部正令、阿部正春、稲垣重富、長沢松平家

■天守
模擬天守

■天守構造
不明(層塔型3重3階模擬)

■城郭構造
連郭式

■城分類
平山城

■縄張り

■歴史
大永元年(1521年)に真里谷信清が「小田喜城」として築いたのがはじまりとされます。

以前は小田喜城は同町内の根古谷城のことであり、今日の大多喜城は徳川家康によって大多喜の地を支配した本多忠勝が築城したものと考えられてきましたが、近年の発掘によって現在の城の地下に大規模な城の遺構が遺されていることが明らかとされて、小田喜城と大多喜城とが完全に重なる訳ではないものの、現在では信清の小田喜城を元にして後の大多喜城が築かれたものと考えられています。

信清の後を継いだ真里谷朝信の代の天文13年(1544年)に、里見氏の武将正木時茂によって真里谷氏は城を奪われて、以後時茂・信茂・憲時の3代に渡って正木氏が支配して、上総国東部支配の拠点とされました。

しかし、天正9年(1581年)に里見義頼との内紛によって憲時が殺害されると、同城には里見氏の代官が派遣されたといいます。

天正18年(1590年)、里見氏が惣無事令違反を理由に上総国を没収されると、同国は徳川家康に与えられ、その配下の勇将・本多忠勝が城主となり、大多喜藩10万石が成立しました。

忠勝は里見氏の北上を防止するために突貫工事を行い、3層4階の天守を持つ近世城郭へと大改築を行い、ふもとに城下町の建設を行いました。

これが今日の大多喜城です。

以後、この城は大多喜藩の拠点として幕末まで重要な役割を果たしてきましたが、元和5年(1619年)9月、藩主阿部正次が拠点を移したことにより大多喜藩は一時的に廃藩となったため、城は荒廃しました。

寛文11年12月(1672年)、阿部正春が1万6千石で入城した際、幕府から「大多喜城は城跡になってしまっているので、追々再建するように」という命令が下ったものの、「一重の塀もないありさまで、門や櫓などもない」という当時の記録の通り、大多喜藩の規模縮小に伴い、荒廃した状態で長く支配が行われていたようです。

■見どころ
遺構 土塁、横堀跡、堀切、郭、井戸

■御城印

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■城巡り記録

2021年12月14日

千葉県にあの徳川家康の重臣、本多忠勝のお城があったとは。

知らない事だらけですね。

そんな大多喜城に行ってきました。

行きは東京駅から外房線で大原まで行き、そこからいすみ鉄道に乗りました。

いすみ鉄道の雰囲気いいですね。

なんか旅行に来た感じがします。

1両のみの電車で田園風景の中ゆっくりと進んで、大多喜に到着です。

駅前には大手門がありました。

ずいぶん立派な門ですが、こちらは新たに作られたもので、実際にあった場所も大きさも異なるようです。

そこから道をゆっくりと上っていきます。

途中あった高校生は皆挨拶をしてくれました。

観光客が多いのでしょうけど、そういった教育もされているんですね。

特にお城の中にある高校の生徒のようですので、大多喜城は誇りなのだと思います。

途中の川からはいすみ鉄道が見える鉄橋がありました。

この川は夷隅川。

いすみ鉄道のいすみは漢字だとこうなるんですね。

この川は江戸時代は禁漁で、鯉が取れたそうですが、その鯉は江戸城に献上していたそうです。

途中から上り坂がきつくなり、大多喜城に。

堀がしっかり見ることが出来ます。

写真だといまいち角度が伝わらないのですが、かなり急斜面となった堀の跡を見ることが出来ました。

少し上ると二の丸公園があります。

公園というより茶室のような感じがしました。

さらに上ると本丸です。

こちらの天守は1975年に再建されたものらしいです。

天守の構造が不明であったため、模擬天守ということになるのでしょうか。

こちらは現在博物館として使われているのですが、12月27日から改修工事のためしばらくの間休館となるそうです。

2週間後ということで、今回これたのはまさにギリギリで非常に運が良かったです。

こちらの家紋は二つ。

本多忠勝の家紋は「丸に立葵」だそうです。

場内に入ってみます。

千葉の大名が一覧で乗っていました。

あまり戦国時代では目立たない存在の千葉ですが、いろいろお城を見ていくと、多くの物語があったことが分かります。

千葉には多数の城があります。

特に千葉はご城印に力を入れているので、多くのご城印をゲットできることもあり、お城巡りも楽しめます。

ご城印は2階に置かれていました。

いろいろな兜が飾られています。

それにしても兎の兜とは、なんかかわいいですね。

平山からの眺望は非常に良かったです。

3階には当時のジオラマが作られていました。

大多喜城の周りに田園が広がっています。

城下町は少し離れたところにあります。

こう見るとそれほど栄えていた感じはしませんね。

ジオラマを見てから景色を見てみると、田園が広がっています。

そして山々。

結構当時を想像することが容易かもしれません。

お城を出て、その周りをぐるっと回ってみました。

再建とはいえ、カッコいいお城ですね。

眼下には大多喜高校が見えます。

こちらに移設した薬医門と井戸があるそうです。

せっかくですので、それも見に行こうと帰りは別の道から降りてみました。

しっかりと整備された階段が続きます。

階段をゆっくり降りていくとどんどん高校の方に向かっています。

階段をおりると高校の敷地内でした。

大井戸は敷地内にあるようです。

入って大丈夫か少し気になったのですが、なんか良さそうなので、中に入ってみてみることにしました。

非常に大きな井戸です。

日本一の大井戸だそうです。

そこからすぐ近くにある薬医門もみました。

こちらは本丸御殿にあた薬医門だそうです。

それにしても校舎の真ん前にあるなんてすごいですね。

大多喜城を堪能しました。

帰りもいすみ鉄道に乗りますが、帰りは小湊鉄道の方に向かいます。

すると大滝の駅を出発してからすぐで電車が徐行をしてくれ、大多喜城を最も綺麗に観れる場所で社内案内がありました。

素晴らしいですね。

確かにこの場所が一番いいと思います。

実はさらにこの電車も収まる構図が一番いいのではと思いながら、電車の旅を楽しみました。

小湊鉄道の乗換駅となる上総中野駅です。

どちらの電車もすごい年代を感じさせます。

社内も懐かしい、趣のある座席です。

千葉の小旅行として大多喜城を訪れるのはなかなか良いものだと思いました。

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