「足柄城」134城目@日本の城 #静岡県

■城名
足柄城(あしがらじょう)

■別名
霞城

■所在地
神奈川県南足柄市矢倉沢/静岡県駿東郡小山町

■見ごたえ
★★★

■築城年
天文5年(1536)

■築城者
北条氏綱?

■主な改修者
北条氏光

■主な城主
後北条氏

■城分類
山城

■遺構
曲輪、石垣、土塁、堀切

■歴史(ChatGPTより)
足柄城(神奈川県南足柄市・静岡県小山町にまたがる山城)は、古代から中世まで足柄峠一帯の軍事・交通の要衝として機能した城郭である。標高約750mの足柄峠に築かれ、相模国と駿河国を結ぶ「足柄道」を押さえる位置にあることから、律令制下の官道守備、室町期の関所、防衛拠点として長く重要視されてきた。城の起源は明確ではないが、『続日本紀』に記される奈良時代の“足柄関”との関連が指摘されており、古代から峠が交通・軍事双方において重大な意味を持っていたことがうかがえる。中世に入ると、足柄峠は駿河の今川氏・甲斐の武田氏・相模の北条氏が戦略上必ず押さえるべき地となり、特に後北条氏の時代に城は大きく整備・拡張されたと考えられている。

後北条氏が相模国を中心に勢力を伸ばすと、ここ足柄城は甲斐・駿河方面からの敵襲に備える最前線の防衛拠点となった。峠を挟んだ天然の要害に加え、北条氏特有の築城技術である堀切・土塁・曲輪群の整備が行われ、山城としての防備能力は飛躍的に高められた。とりわけ城域は東西に細長い稜線に沿って主要部が配置され、敵が峠を登ってくる経路を的確に見下ろすことができる構造になっている。現在も一の曲輪・二の曲輪・堀切・土塁などの遺構が良好に残っており、戦国期山城の特徴をよく示す。標高差を利用した防御線は厳しく、攻める側にとって極めて難攻な城であったと推測される。

しかし、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐では、足柄城も北条氏の他の山城同様、徹底抗戦は行われなかった。これは秀吉の大軍を前に北条方が山城の維持を断念し、主力を小田原城に集結させたためである。足柄城は放棄され、城としての役割は終わった。その後、江戸時代には足柄峠自体の交通路としての重要性が薄れ、東海道の整備が進むにつれ、かつての軍事拠点は静かな峠の遺構となっていった。

現代において足柄城址は、歴史と自然景観の両方を楽しめる文化財として再評価されている。城跡からは富士山や箱根外輪山が望め、戦国の時代にこの峠を守った武士たちが見たであろう景色を追体験できる。遺構の残り方が良く、北条流山城の構造を理解する貴重な史跡として歴史ファンに人気である。また足柄峠には金太郎伝説が残るほか、古代・中世・近世の交通史を通じて地域文化の形成と深く関わる地域であり、足柄城はその象徴的存在ともいえる。峠に築かれた軍事拠点としての歴史、北条氏の防衛戦略の中で果たした役割、豊かな自然とともに残る遺構など、多方面から魅力のある城跡である。

■場所

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■城巡り記録

2025年12月5日

北条氏のお城、足柄城へ行ってきました。

かなり急な峠の上にあり、昔はここを歩いて登ったのかと思うとすごいです。

少し雲がかかっていましたが、富士山がきれいに見えました。

富士の裾野の広さも分かり、絶景ですね。

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