
■城名
飯盛城(いいもりじょう)
■別名
飯盛山城
■所在地
大阪府大東市及び四條畷市
■見ごたえ
★★★★
■称号
続日本100名城
■築城年
建武年間(1334年 – 1338年)
■廃城年
天正4年(1576年)
■築城者
佐々目憲法か木沢長政
■主な改修者
木沢長政、三好長慶
■主な城主
木沢長政、安見宗房、三好長慶、三好義継
■天守
なし
■城分類
山城
■歴史
大阪府大東市と四條畷市にまたがる飯盛山に築かれた山城で、戦国時代に河内国の守護・三好長慶が本拠としたことで知られます。標高314メートルの飯盛山山頂付近に位置し、自然の地形を生かした堅固な防御構造が特徴です。築城時期ははっきりしていませんが、南北朝時代の文献にその存在が記されており、歴史的には古い城とされています。
飯盛山城が重要視されたのは、三好長慶が河内国での権勢を強化するために、守護代としての地位を固めた永禄年間(1550年代)頃からです。長慶は家臣を配置して飯盛山城を拠点にし、周囲の山々を利用して大規模な防衛網を築き、織田信長が台頭する以前の畿内での影響力を確立しました。城には複数の郭や土塁、空堀などが設けられ、急な山道を活かして敵軍の侵入を防ぐ構造が整えられていました。
また、飯盛山城は近畿圏におけるキリシタン文化の拠点でもあり、長慶の家臣である松永久秀らがキリシタンと接触していたことから、宗教的な影響も及ぼしていたと考えられます。しかし、永禄11年(1568年)に長慶の没後、三好氏の勢力は衰退し、織田信長の上洛により飯盛山城の役割も終焉を迎えました。その後の大坂の陣での影響も少なく、廃城となりました。
現在では、飯盛山城の跡地には一部の遺構が残り、歴史的な山城の姿を垣間見ることができます。飯盛山城跡は、地元のハイキングコースとしても利用されており、戦国時代の面影を感じられる貴重な文化財として保存されています。
■遺構
石垣・竪堀・畝状竪堀群・堀切・井戸跡
■指定文化財
国の史跡
■ご城印


■場所
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■城巡り記録
2024年8月9日

三好長慶のお城に行ってきました。

先にご城印をもらおうと四条畷市民総合センターへ行ったのですが、こちらではないとの事。
間違ってしまいました。

続日本100名城スタンプとご城印は四条畷市立歴史民俗資料館の方です。

ちゃんとたどり着き、スタンプを押印。

そしてご城印を購入しました。

飯盛城のご城印は四条畷版と大東版があって、二つで1つの絵になるそうです。
これは大東市の方にも行かないといけないですね。

まずは四条畷神社へ。

由緒正しき神社のようで、しっかりとした管理が行き届いています。

そこから右側に飯盛城へ続く山道があります。


周りから見た感じだとすぐ登れる山城かなと思っていたのですが、これが結構な山城でした。

真夏だったこともあり、登山者は全く見かけません。

一人ずんずんと登っていきます。

さすがに山は涼しくて良いですね。

階段など整備されていますが、結構登るのは大変ですので、あまり軽装過ぎないことと飲み物はちゃんと持って登りましょう。



山頂近くに石垣がありました。

大東市のパンフレットがありますが、飯盛城は石垣を多用した山城だそうです。

是非石垣ガイドをもらってから登ってください。
野面積みでしっかりと積まれた石垣は、まだ戦国時代の頃なので珍しいのだと思います。

本郭に展望台があります。


こちらにパンフレットがあるので、もらっていない場合はこちらで頂きましょう。

景色は綺麗ですね。


ここからは大東市の方に向かって降りていきます。


途中FM大阪のアンテナや千畳郭などがあります。


下りは楽ですが、それでも山城。

気を付けております。

途中に池があり、その先に七曲り。

石の排水溝もあり、しっかりと整備されていて歩きやすかったです。


途中支城となる野崎城にも立ち寄り、大東市立歴史民俗資料館へ。

飯盛城のご城印・大東市版を購入しました。

そして、三好長慶手ぬぐいが300円。

ちょうど手ぬぐいが欲しかったこともあり、こちらも購入しました。

続日本100名城に選出されるだけある立派な山城でした。

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