「伏見城」83城目@日本の城 #京都市伏見区

■城名
伏見城(ふしみじょう)

■別名

桃山城、木幡山城

■所在地
京都市伏見区

■見ごたえ
★★

■築城年
1592年(文禄元年)

■廃城年
1623年(元和9年)

■築城者
豊臣秀吉

■主な改修者
徳川家康

■主な城主
豊臣氏、徳川氏

■天守
模擬天守

■天守構造
不明(指月・1592年築)
不明(木幡山・1596年築/1601年再)
いずれも非現存
複合式望楼型5重6階(花畑曲輪跡・1964年築・RC造模擬)

■城郭構造
梯郭式

■城分類
平山城

■歴史
京都府京都市伏見区桃山町にかつて存在した日本の城で、豊臣秀吉が築城し、後に徳川家康によって再建されました。歴史的には桃山文化の象徴ともされる豪華な城で、政治の中心地としても機能しつつ、当時の建築・美術技術の粋を集めた場所として知られています。

築城の背景
伏見城の築城は、豊臣秀吉が晩年を迎えた際、次世代の政権基盤を安定させるために計画されたものでした。豊臣氏の本拠地としてだけでなく、戦国時代を経て日本の平和を象徴する城としても役割を持っていました。秀吉は1592年頃から築城を開始し、伏見の地を選んだ理由は、京都に近く交通の要所であると同時に、優れた景観が楽しめる場所であったためとされています。

伏見城の構造と特徴
初期の伏見城は山城として構築され、主に防衛の機能が重視されていました。しかし、その後の改修で平山城(山麓にある平城)へと変更され、豪華な造りとなりました。秀吉が完成させた伏見城は、その壮麗さから「伏見御殿」とも呼ばれ、金箔が貼られた装飾や、豪華絢爛な襖絵、屏風、また日本絵画の巨匠たちが手掛けた障壁画が飾られたことでも有名です。また、伏見城には庭園や遊興施設も整備され、天下統一後の平和な時代における文化の発展を象徴する建物となりました。

地震と伏見城の再建
1596年、慶長伏見地震により、完成したばかりの伏見城は大きな被害を受け、倒壊してしまいました。しかし、秀吉の命によりすぐさま再建が始まり、同年中には新たな城が完成しました。このとき、城の敷地はもともとの山上から麓の方へ移され、平山城の構造となったとされています。再建後の伏見城もまた豪華なもので、桃山文化の中心地として君臨し、周囲に茶室や庭園、豪華な御殿が設けられました。

関ヶ原の戦いと伏見城
1600年、徳川家康と石田三成らの間で関ヶ原の戦いが勃発しますが、伏見城はその前哨戦の舞台となりました。石田三成により伏見城が攻撃され、「伏見城の戦い」が勃発しました。当時、伏見城には家康の重臣である鳥居元忠が守備していました。元忠は籠城戦を行い、少数の兵で石田軍の大軍を引き付け、家康軍が体制を整える時間を稼ぎました。この戦いで元忠は戦死しましたが、彼の奮戦により、家康が天下を取る重要な局面で貢献しました。

徳川幕府下での伏見城
関ヶ原の戦い後、徳川家康は伏見城を政治的・軍事的な拠点として再建し、関西地方の支配の要として使用しました。江戸幕府が設立された後も伏見城は重要な施設として維持され、京都に代わる政治的な拠点や、将軍や大名たちが京へ上洛する際の宿泊所としての役割も果たしました。

しかし、1623年に3代将軍徳川家光が「伏見城はもはや軍事拠点としての重要性が薄れた」と判断し、城は解体され、その資材は江戸城や他の城の建築に転用されました。伏見城の跡地には豊臣秀吉が愛用した遺品や寺院が点在し、歴史の遺構を今も感じさせます。

文化遺産としての伏見城
伏見城は桃山文化の代表的な建造物であり、豪華な装飾や美術品が多く作られました。特に、「伏見城障壁画」として知られる金碧障壁画は、城が解体された際に各地の城や寺院に分散され、現在も重要文化財として保護されています。近年では、一部が復元され、「桃山御殿」として訪問者に公開されています。

現在の伏見桃山城
現在、伏見城の本丸跡には「伏見桃山陵」として明治天皇の御陵が設置されており、伏見城の姿を見ることはできません。しかし、近隣にある伏見桃山城キャッスルランドには、1960年代に建設された伏見桃山城の模擬天守があり、伏見城の雰囲気を感じることができます。また、史跡としても整備されており、当時の面影や城の歴史を感じることができるようになっています。

伏見城はその豪華絢爛な造りと歴史的な出来事を通じ、桃山時代を象徴する存在として日本史に大きな影響を与えました。豊臣秀吉が夢見た平和な時代の象徴としての側面と、徳川家康が利用した軍事拠点としての側面を兼ね備えた城であり、日本の歴史と文化を色濃く映し出す存在といえます。

■遺構
移築門、石垣、水堀、土橋、天守台

■場所

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■城巡り記録

2024年8月8日

歴史的にも有名な伏見城ですが、100名城でもなく忘れ去られた存在となっています。

関ヶ原の戦いの前哨戦でもあり、重要なお城であったため一度は行かなければと思い、丹波橋駅で降りて徒歩で行ってみました。

地図上だと結構近いのでスーツケースを転がして楽勝かと思ったらものすごい坂。

やはりちゃんと平山城でした。

途中は高級住宅街という感じでしょうか。

良い家が立ち並んでいます。

そんな住宅街を突っ切って登ったところが伏見城。

以前は伏見キャッスルランドというテーマパークがあったようで、入り口の門から面影があります。

駐車場も整備されていて、この場所をうまく活用できればいいのになぁと思ったり。

伏見桃山城運動公園と現在はなっており、模擬天守が建っていました。


手前は立派な門があります。


門からは模擬天守ですが立派な天守閣が見えます。

残念ながら倒壊の恐れがあり、中に入ることどころか規制のための黄色いテープが張り巡らされており、近づくこともできません。

いつか伏見城も立派な城址公園として整備されればよいなぁと思いました。

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