■城名
浜松城(はままつじょう)
■別名
曳馬城、出世城
■所在地
静岡県浜松市中央区
■見ごたえ
★★★★
■称号
続日本100名城
■築城年
永正年間(1504年 – 1520年)
■廃城年
1871年(明治4年)
■築城者
今川貞相
■主な改修者
徳川家康
■主な城主
飯尾氏、松平氏、堀尾氏、井上氏、水野氏、青山氏他
■天守
模擬天守
■天守構造
望楼型3重4階、鉄筋コンクリート造模擬・1958年(昭和33年)
■城郭構造
梯郭式
■城分類
平山城
■縄張
1.天守曲輪:
本丸から独立した天守曲輪があり、東西56m・南北68mのいびつな多角形で構成されている。
天守門と埋門があり、周囲は鉢巻石垣や土塀で囲まれている。
防御性が高く、籠城戦を想定した場所と考えられている。
2.天守:
天守は16世紀末に築かれ、江戸時代初期に失われた。現存するのは天守台の一部と、昭和33年に建てられた復興天守。
天守台上には野面積みによる創建時の天守台が残っている。
3.天守門と埋門:
天守門は16世紀末に建てられた櫓門で、江戸時代を通して浜松城を代表する建物だった。
埋門は天守曲輪の西側に位置し、復元の検討が行われている。
4.本丸:
本丸は天守曲輪の東側に位置し、富士見櫓や多聞櫓、本丸裏門などがあった。
廃城後、一部は浜松城公園となり、一部は市街地として整備された。
5.清水曲輪と西端城曲輪:
清水曲輪は天守曲輪の南側にあり、空堀や清水門があった。
西端城曲輪は天守曲輪の西側に位置し、曲輪全体が浜松城公園となっている。
6.二の丸と三の丸:
二の丸は本丸の東側に位置し、二の丸御殿や本丸表門があった。
三の丸は二の丸の南東側にあり、土塁や堀で囲まれていた。市街地化されている。”
■歴史
1.築城の始まり(戦国時代):
浜松城の歴史は戦国時代に遡ります。天文18年(1549年)、今川義元が駿河国の国衆である松平元康(後の徳川家康)に浜松周辺の地を与えたことが、浜松城の築城のきっかけとなりました。
2.松平家の拠点として(安土桃山時代):
安土桃山時代には、浜松は松平家の重要な拠点として発展しました。松平家は浜松を中心に領地を広げ、城郭も拡張されました。この時期に浜松城は、今川氏や徳川家康の拠点としての役割を果たしました。
3.徳川家康の居城(江戸時代初期):
江戸時代初期、徳川家康は浜松城を居城としました。彼は関ヶ原の戦いでの功績により、豊臣秀頼の後見役として天下統一の役割を果たし、その後は将軍として江戸幕府を開きました。浜松城は、家康の時代に城郭が整備され、城下町も栄えました。
4.明治時代以降:
江戸時代末期、幕末の動乱や明治時代の社会変革を経て、浜松城はその重要性を失いました。現在、城は多くの戦乱や自然災害によって損傷し、天守閣も失われています。
5.現代:
現代では、浜松城址には公園が整備され、一部の石垣や櫓の一部が残されています。また、城の歴史や文化に触れるための資料館も存在しています。
浜松城は歴史的な城であり、その築城から現代までの様々な時代の影響を受けてきました。
■遺構
石垣、曲輪
■指定文化財
浜松市指定史跡
■再建造物
模擬天守
■ご城印
■場所
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■城巡り記録
2023年8月22日
浜松駅で降りてバスで向かいます。
市役所前ということもあり、バスはかなり本数があり助かります。
バスを降りるとすぐ目の前に浜松城が見えました。
どうする家康のドラマや三方ヶ原の戦い後に逃げ帰り、空城の計を行ったお城とのことで、なんとなくですが平城のイメージがあったのですが、予想以上の平山城でした。
道を渡ってみてみると改めて石垣が映えますね。
立派なお城です。
近づいてみてみると石垣は野面積。
切込接ぎが芸術だと思うこともありますが、この野面積も非常に趣があってよい石垣ですね。
設置されている階段を上っていきます。
下から見上げる石垣もまた良いです。
この天守曲輪の周りだけ石垣があり、その下は土のものを鉢巻石垣というそうです。
必要な部分だけ石垣にするのも、野面積となっているのも、戦国時代に築城されたお城らしさがあり良いものです。
虎口は石垣に囲まれていて、ここに門があればかなり防衛力は高いです。
ここの門はどのようなものだったのでしょうか。
本丸に入ると天守があります。
模擬天守ということから、当時どのようなものだったかは分かりません。
資料が残っていないため、復元することが難しく模擬天守となったのでしょう。
でも、こんな天守だったらいいなぁと思います。
土塁の周りを歩いてみました。
ここから見晴れれば敵を早く発見できそうですね。
天守横にある天守門は櫓門となっていて、入ることが出来ました。
こちらには出世おみくじなるものがありました。
せっかくなので、息子とやってみます。
私は直江兼続でした。
中吉です。
息子は真田幸村でした。
吉です。
どの武将が大吉なのか気になるところですね。
天守門の石垣も野面積。
門のすぐ横に鏡石があります。
石垣は崩れやすいので、登ったり触ったりしないようにとの注意書きが。
是非後世にも残したい石垣ですので、大切に扱っていきたいですね。
非常に石垣が趣のある良いお城でした。
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コメント
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