■城名
高安寺城(こうあんじじょう)
■別名
高安寺館、高安寺塁
■所在地
東京都府中市片町
■見ごたえ
★★☆
■築城年
不明
■廃城年
不明
■築城者
不明
■主な城主
新田義貞、鎌倉公方
■城分類
平城
■歴史
平安時代に藤原秀郷が武蔵国府近郊に置いた居館を市川山見性寺に改めたのが始まりとされています。
平家滅亡後に鎌倉入りを許されなかった源義経もこの寺に立ち寄って、武蔵坊弁慶が大般若経を書き写したと言われています。
ここは武蔵国府の近くにあり、国衙荒廃後にはここが重要拠点と見なされるようになり、南北朝時代には新田義貞が分倍河原の合戦で本陣を構えています。
これら一連の戦乱によって、寺が炎上するなどして見性寺は荒廃しました。
暦応年間(北朝、1340年前後)に入ると、足利尊氏が建長寺の大徹禅師を開山として招き、臨済宗の禅寺に改めて再興しました。
この際、尊氏が進めていた安国寺の一つとしてこの寺を位置づけ、名称も尊氏の旧名(高氏)から龍門山高安護国禅寺と命名されました。
これによって高安寺は室町幕府の保護を手厚く受けて、一時は塔頭10・末寺75と称されるほどの大寺院となりました。
永徳元年/弘和元年(1381年)には小山義政討伐に向かう第2代鎌倉公方足利氏満が、続いて応永6年(1399年)には応永の乱に呼応して将軍足利義満打倒を図ろうとした第3代鎌倉公方足利満兼が、それぞれ高安寺に陣を置いています。
現在の本堂は、寛永元年(1624年)に火災に遭い消失したものを享和3年(1803年)に再建したものです。
■場所
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■城巡り記録
2023年6月5日
府中市にある高安寺城に行ってきました。
現在は曹洞宗の高安寺というお寺です。
しかし、この地は昔から数々の戦の舞台となっていたようです。
源義経が平家討伐後に鎌倉に入れてもらえず、こちらに立ち寄ったという言い伝えがあるようです。
その後高安寺は足利尊氏の旧名である高氏の高をとって高安寺となっており、室町幕府から手厚い保護を受けていたとか。
この辺は分倍河原の戦いなどもあり、歴史がある場所ですね。
■写真
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