■城名
三原城(みはらじょう)
■別名
浮城、玉壺城
■所在地
広島県三原市館町1-2
■見ごたえ
★★★
■称号
国史跡、続日本100名城
■築城年
永禄10年(1567)
■廃城年
不明
■築城者
小早川隆景
■主な改修者
福島正則
■主な城主
小早川氏、福島氏、浅野氏
■天守
なし
■城郭構造
梯郭式
■城分類
平城
■歴史
永禄10年(1567年)頃に、小早川隆景によって整備が始められたとされます。
小早川隆景は、現在の沼田川河口の三原湾に浮かぶ小島や中州をつないで、いわゆる砦を築き水軍の拠点としました。
これが三原城の原型を成したものと思われ、三原要害とも呼ばれていました。
当時、新高山城下まで瀬戸内海は深く湾入していたものの、勢力を強める小早川水軍(水運)の差配には、より効率的な運用が期待できるこの地に「三原城」を整備したものと思われます。
天正8年(1580年)から10年にかけて、三原要害は隆景によりさらに整備が進められ、海城となりました。
そして隆景は、新高山城から三原城へと本拠を移し、瀬戸内海を軍事的に掌握する為に建てられた城となります。
三原城の縄張りは梯郭式であり、壮大な天主台を北(陸側)に頂いた本丸、その東・西・南の三方に二の丸、そしてそれらの東側に三の丸と東築出、西側に西築出を設けた台形状の城郭でした。
城の後背には、新高山城下などから数々の寺院を移築し、さらに背後の「桜山」に、詰めの城として機能を担わせた可能性も窺われます。
なお桜山には、山名氏により桜山城が築かれていたとのことであり、隆景はこれを甲の丸として整備したようです。
また本丸東南には突出部を持つ船入櫓を備えるなど、城郭と軍港の機能を兼ね備えたものであったことが窺われます。
天正15年(1587年)、隆景は豊臣秀吉から筑前国を加増され、名島城(福岡県福岡市)に居城を移しましたが、やがて文禄4年(1595年)、養子の秀秋に家督・筑前国を譲り、三原城に戻り隠居しました。
■遺構
曲輪、石垣、横堀(水堀)、移築門(順勝寺山門)
■ご城印
■場所
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■城巡り記録
2023年5月3日
小早川隆景が新高山城のあとに築いたお城です。
新高山城を登城したあとに行きました。
毛利家のなかで小早川は水軍が有名です。
その水軍を効率的に運用するためにはより海に近い三原城が向いているので移ったとか。
新幹線の駅が見事に本丸をぶち抜いているという衝撃的なお城ですが、そこも有名になったところかもしれません。
でも、駅から直結で本丸に入れるのはすごいですよね。
まず観光センターで御城印を購入しました。
そこに続日本100名城スタンプも置かれていますので、押印します。
そこから駅をグルっと回って石垣を見学。
駅の高架の下にまで石垣があります。
現状は本丸部分の一部しか残っていないのですが、元はものすごく大きなお城だったようです。
海にも繋がっていたというのですから、たしかにすごいですね。
小早川隆景の像をみてぐるっと一周してみました。
本丸の一部だけでも立派ですね。
周囲に三原城や小早川家の説明が記載された看板が多数あります。
じっくり読むのも面白いです。
横から見るとたしかに新幹線の駅が石垣を貫いていますね。
水堀の幅は結構広く、鯉が沢山泳いでいました。
一周廻って天守台に向かいます。
この登り口は駅の中です。
駅の階段のような階段を登っていくと入口があります。
ここにも三原城の歴史が色々とわかりやすく書かれています。
ドアを開け階段を登ると天守台に到達です。
庭園になっています。
見晴らしはすごい良いですね。
後ろの山が桜山だそうです。
昔はそこにお城があったそうですね。
すぐ横を新幹線が通っていきます。
これはこれで良いのかもしれませんね。
当時の三原城は非常に大きな海城だったようですが、そのまま残して置くのも無理でしょうから、新幹線により分断された城としてある意味有名になっているんだろうと思います。
見ごたえはやや劣りますが、歴史を感じるお城でした。
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