■城名
細野城(ほそのじょう)
■所在地
神奈川県愛甲郡愛川町
■築城年
永禄年間(1558年〜1570年)
■廃城年
1590年(天正18年)か
■築城者
内藤下野守秀勝、三郎兵衛秀行、定行
■城分類
山城
■歴史
北条氏の家臣、内藤三郎兵衛定行によって築かれた城です。
中津川を挟んだ対岸にある田代城は定行の祖父・内藤秀勝により築城されました。
1569年(永禄12年)10月8日の「三増峠の戦い(三増合戦)」では武田信玄の軍勢によって田代城は焼け落ち、細野城も落城したと思われますが、その後も津久井城の支城として存在していたようです。
しかし1590年(天正18年)の豊臣秀吉による「小田原征伐」で北条氏が滅亡するとともに廃城となりました。
なお内藤氏は帰農したとされています。
現在城址は県道の建設により大部分が消滅してしまいましたが、道路沿いに一部、土塁や堀切の遺構が確認できます。
■遺構
曲輪、土塁、空堀
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■城巡り記録
2022年10月15日
宮ヶ瀬ダムを見に行くついでに、細野城に立ち寄りました。
立ち寄ったといっても、これといった遺構はありません。
ここかなという細い道に入ったら、広い駐車場にでました。
下に川が流れており、開けた場所となっています。
結構急斜面のところもあったので、この場所にお城があったのでしょう。
今はまぁなにもありませんけど。
しかし、この場所坂の途中なんですよね。
どうせお城を作るなら山頂なのだと思うのですが、この場所にした理由はあるのでしょうか。
作った人は誰なのかなと立ってある木札を見つけたので読んでみました。
なるほど。
小田原北条氏の家臣の内藤秀勝という人のようですね。
ただ、すぐ隣に田代城があり、そちらが秀勝であったともいわれているそうです。
ネットの情報だと、秀勝の甥の定行が城主となっていたりしますが、どれが正しいのかな。
武田軍との激戦場所である三増合戦場から近い場所にあり、その時の合戦で落城したともいわれています。
見どころは少ないので、あまり行く価値はないかもしれません。
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