■城名
石神井城
■別名
–
■所在地
東京都練馬区石神井台
■称号
ご城印のある城
■築城年
鎌倉時代後期
■廃城年
文明9年(1477年)
■築城者
豊嶋氏
■主な改修者
■主な城主
■天守
–
■天守構造
–
■城郭構造
連郭式
■城分類
平山城
■縄張
平安時代から室町時代まで石神井川流域に勢力を張った豊島氏の後期の日本の城
■歴史
豊島氏は貞和5年(1349年)に石神井郷の一円支配を開始したものの、応安元年(1368年)の「平一揆の乱」に敗れて関東管領・上杉氏に所領を没収されており、その後応永2年(1395年)になってようやく同郷を還補(げんぽ=所領返却)されました。
平安期以来、武蔵の名族として名を馳せていた豊島氏は室町時代中期、新興勢力の扇谷上杉氏家宰太田氏と対立を深め、長尾景春の乱において太田道灌に攻められ没落しました。
この戦いにおいて、豊島氏は当主の泰経とその弟泰明はそれぞれ石神井城と練馬城に拠り道灌と対峙しましたが、同年4月13日練馬城を攻撃された後の江古田原の戦いで惨敗を喫し、泰明は戦死、泰経は石神井城に敗走しました。
■遺構
土塁、堀
■再建造物
–
■ご城印
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■城巡り記録
2022年6月29日
石神井城は現在石神井公園の中に保存されています。
石神井池ではボートなどにも乗れるようです。
結構広い池で驚きました。
都内にもこんなところがあるんですね。
池というか沼のような感じで、水辺の生き物が保護されています。
都会のオアシスですね。
この池から石神井川につながっており、自然の川を堀として使用していたことが分かります。
そんな石神井城ですが、少し高台になった丘の上にあります。
あまり興味のない人はここにお城があったということは知らないでしょう。
細い道を歩いていくと城跡につながっていました。
それにしても大きな木もあり、良い場所です。
石神井城の跡があります。
フェンスでおおわれて中に入ることはできませんが、中にはしっかりとした土塁・空堀があるのが分かりました。
中にさらに小高い丘があり、そこが本郭であったのでしょう。
その周りの歩ける場所は土で、都会とは思えない場所です。
石神井公園に来てもあまりこちらに来る人は少ないようですが、こちらの良さも知ってもらいたいですね。
空堀は草に覆われていますが、結構な深さのようです。
当時はさらに深さがあって、土塁も築かれていたため、攻めづらかったのでしょう。
横に氷川神社もありました。
この場所で太田道灌と戦ったそうです。
太田道灌はここからさらに小机城など横浜まで行っています。
室町時代の終盤、戦国時代の入り口ですね。
石神井城の石碑も築かれていました。
今後もしっかりと保存していってもらいたいと思います。
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