「山中城」#静岡

■城名
山中城

■所在地
静岡県三島市山中新田(伊豆国田方郡山中)

■称号
日本100名城、箱根十城

■別名

■築城年
永禄年間(1558年~1570年)

■廃城年
1590年(天正18年)

■築城者
北条氏康

■主な改修者
北条氏政

■主な城主
松田氏

■天守
なし

■天守構造

■城郭構造

■城分類
山城
■縄張り
北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられます。

箱根十城のひとつです。

三島市によって当時を反映した整備改修がなされ、堀や土塁などの遺構は風化を避けるため、盛土による被履の上芝を張って保護し、畝堀や障子堀の構造が明確に把握できるように整備されており北条氏の築城方法を良く知ることのできる城跡です。

■歴史
永禄年間(1558年 – 1570年)に北条氏康により築城されました。

北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り込む形で造られています。

北条氏政の代に豊臣秀吉との関係が悪化すると、山中城は改修し防備を固めることになりますが、結局間に合わず未完成のまま豊臣軍を迎えます。

1590年(天正18年)、小田原征伐で豊臣秀次率いる6万8千の軍勢が山中城を攻撃、守将は北条氏勝、松田康長、松田康郷、蔭山氏広、間宮康俊ら3千。

間宮康俊は寄親北条氏勝等を撤退させて自らは手勢200を率いて三ノ丸~岱崎出丸辺りで豊臣方に苛烈に抗戦した為に、豊臣方も部将の一柳直末など多くの戦死者を出しました。

しかし戦力差甚だしく猛烈な力攻めの結果わずか半日で落城し、北条方の松田・間宮などの武将や城兵の多くが討死しました。

戦後、城は廃止されました。

■見どころ
(遺構) 曲輪、堀、土塁

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