「五稜郭」#北海道

■城名
五稜郭

■所在地
北海道

■称号
日本100名城

■別名
亀田(御)役所土塁、柳野城

■築城年
1866年

■築城者
江戸幕府

■主な改修者
なし

■主な城主
なし

■天守

■天守構造
なし

■城郭構造
稜堡式

■城分類

■縄張り
江戸時代末期に江戸幕府により新しく開港され防備の必要となった蝦夷地の箱館(現在の北海道函館市)郊外に建造された稜堡式の城郭
築造中は亀田役所土塁(かめだやくしょどるい)または亀田御役所土塁(かめだおんやくしょどるい)とも呼ばれた
元は湿地でネコヤナギが多く生えていた土地であることから、柳野城(やなぎのじょう)の別名を持つ

現在残る星形の遺構から外側100~350メートルには、北と北西を除いて外郭の土塁がかつて存在したが、現在では国有保安林となっている箇所以外、面影は失われている”

■歴史
五稜郭は箱館開港時に函館山の麓に置かれた箱館奉行所の移転先として築造された。しかし、1866年(慶応2年)の完成からわずか2年後に江戸幕府が崩壊。短期間箱館府が使用した後、箱館戦争で旧幕府軍に占領され、その本拠となった。
明治に入ると郭内の建物は1棟を除いて解体され、陸軍の練兵場として使用された。
1854年(安政元年)3月、日米和親条約の締結により箱館開港が決定すると、江戸幕府は松前藩領だった箱館周辺を上知し、同年6月に箱館奉行を再置した
1855年(安政2年)7月にフランスの軍艦「コンスタンティーヌ号」が箱館に入港

大政奉還の後、新政府により箱館府が設置されると、五稜郭は、1868年(慶応4年)閏4月に箱館奉行・杉浦誠から箱館府知事・清水谷公考に引き渡され、箱館府が引き続き政庁として使用した。
同年10月21日に榎本武揚率いる旧幕府軍が鷲ノ木(現在の森町)に上陸。箱館府は迎撃したものの、各地で敗北。10月25日に清水谷知事が箱館から青森へ逃走し、10月26日に松岡四郎次郎隊が無人となった五稜郭を占領した。

■見どころ
(遺構)土塁、石垣、堀、兵糧庫
(再建)奉行所、板庫、土蔵

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