■城名
弘前城
■所在地
青森県(陸奥国鼻和郡(のち統合と外浜(青森)、西浜(十三湊)を編入で津軽郡)弘前(現・青森県弘前市下白銀町))
■称号
日本100名城、日本七名城
■別名
鷹岡城、高岡城
■築城年
1611年
■築城者
津軽為信・信枚
■主な改修者
津軽寧親
■主な城主
津軽氏
■天守
現存天守
■天守構造
不詳5層(非現存・1610年築)
御三階櫓(複合式[1]層塔型3層3階・1810年改)
独立式層塔型3層3階(現存)”
■城郭構造
梯郭式
■城分類
平山城
■縄張り
城は津軽平野に位置し、城郭は本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の6郭から構成された梯郭式平山城。
創建当初の規模は東西612メートル、南北947メートル、総面積38万5200平方メートルに及んだ。
現在は、堀、石垣、土塁等城郭の全容がほぼ廃城時の原形をとどめ、8棟の建築と現存12天守に数えられる内の天守1棟が現存する。
■歴史
1590年(天正18年) – 南部氏に臣従していた大浦為信は、小田原征伐の際に豊臣秀吉より南部氏に先駆けて4万5千石の所領安堵の朱印状を受ける。大浦を津軽と改姓
1594年(文禄3年) – 為信、堀越城(弘前市堀越)を築き大浦城より移る。しかし、軍事に不向きであることを理由に新城の候補を鷹岡(現在の弘前城の地)に選定。
1600年(慶長5年) – 為信は関ヶ原の戦いで東軍に付き、徳川家康より2千石の加増を受け4万7千石の弘前藩が成立。
1603年(慶長8年) – 為信、鷹岡に築城を開始。
1604年(慶長9年) – 為信、京都にて客死し、築城は中断する。
1609年(慶長14年) – 2代信枚(信牧)、築城を再開。堀越城、大浦城の遺材を転用し急ピッチでの築城を行う。
1611年(慶長16年) – 1年1か月で鷹岡城がほぼ完成する。
1627年(寛永4年) – 落雷により、鷹岡城の天守で炎上し内部の火薬に引火して大爆発、5層6階の天守、本丸御殿、諸櫓を焼失。以後、200年近く天守のない時代が続いた。
1628年(寛永5年) – 鷹岡を信枚の帰依する天海大僧正が名付けた「弘前」に改称し、城名も弘前城となる。
1810年(文化7年) – 9代藩主津軽寧親、三層櫓を新築することを幕府に願い出て、本丸に現在見られる3層3階の御三階櫓(天守)が建てられた。
江戸時代には弘前藩津軽氏4万7千石の居城として、津軽地方の政治経済の中心地
2007年(平成19年)6月 – 天守付近の石垣壁面が経年変化により膨らんでいて崩落する可能性があることが判明
2012年(平成24年)9月 – 天守付近の本丸石垣の膨らみや天守の傾きがある事から修理の方針が決定された
2015年(平成27年) 8月 – 天守を持ち上げる「揚屋」工程が行われた
■見どころ
(遺構)現存天守・櫓・門、石垣、土塁、堀
(重要文化財)天守・辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓・三の丸追手門・三の丸東門・二の丸南門・二の丸東門・北の郭亀甲門
(再建)二の丸東門与力番所
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