■城名
岩村城
■称号
日本100名城、日本三大山城
■別名
霧ヶ城
■築城年
1221年
■築城者
遠山景朝
■主な改修者
河尻秀隆、各務元正
■天守
なし
■天守構造
なし
■城郭構造
梯郭式
■城分類
山城
■縄張り
・本丸が諸藩の居城中最も高い海抜717mに位置していた。
■歴史
・鎌倉幕府の征夷大将軍源頼朝の重臣加藤景廉の長男遠山景朝が築き、その子孫の岩村遠山氏が戦国時代に至るまでこの地を治めた。
・1572年(元亀3年)10月、信玄は大軍を率いて遠江の徳川家康を攻撃するために出陣し、同時に再び秋山虎繁に岩村城の攻略を命じた。岩村城は武田方に包囲されたが信長は諸戦で助けに来ることができず、おつやの方は虎繁と婚姻するという条件で降伏。翌1573年(元亀4年)2月末に虎繁はおつやの方を妻に迎え、翌3月に岩村城は落城した(岩村城の戦い)
・1575年(天正3年) 同年5月21日の長篠の戦いの後、武田勢が弱体化した期に乗じ信長は岩村城奪還を行った。信長は嫡男・信忠を総大将に攻城戦を行い5ヶ月にわたる戦闘の後、武田勝頼の後詰が間に合わず城は陥落した。開城の際、虎繁の助命が約されていたが織田方はこれを翻し、虎繁夫妻ら5名が長良川河川敷で逆さ磔となり処刑された。
・織田方の城となった後、河尻秀隆が城主となり城の改造を行い現在の城郭に近いものとなった。
■見どころ
「女城主おつやの方」の悲哀の物語が残る。
曲輪、石垣、移築門
■情報
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