「八王子城」2城目@100名城 #東京

2019年1月6日

■城名
八王子城

■称号
日本100名城、東京都三名城

■別名
武州八王寺城

■築城年
1587年(天正15年)頃

■築城者
北条氏照

■主な改修者
北条氏照

■天守
なし

■天守構造

■城郭構造

■城分類
山城

■縄張り
八王子城は北条氏の本城である小田原城の支城であり、関東の西に位置する軍事上の拠点
標高445 m(比高約240 m)の深沢山(現在の城山)に築城された中世山城。

深沢山は華厳菩薩妙行が延喜13年(913年)に山頂で修行した山で、修行中に牛頭天王と8人の王子が現れたとして延喜16年(916年)に八王子権現を祀ったことから、八王子城と名付けられました。
北浅川と南浅川に囲まれた東西約3 km、南北約2 – 3 kmの範囲に及び、山の尾根や谷など複雑な地形を利用していくつかの地区に分けられ、山頂に置かれた本丸、松木曲輪や小宮曲輪など何段もの曲輪を配置した要害地区、城山川沿いの山腹に御主殿と呼ぶ館を構えてその東側にアシダ曲輪で防衛している居館地区、城山川に沿った麓に城下町を形成した根小屋地区、などで構成されていました。
要害地区にはいくつもの砦を配し、それらを結ぶ連絡道の要所には深い堀切や竪堀、兵舎を建てるための曲輪などが造成されていました。
特に、居館地区の南側尾根にある太鼓曲輪は5つの深い堀切で区切られ、南側を石垣で固めるなど、容易に尾根を越えられない構造となっていました。

城下町には、武家屋敷のある中宿、刀剣鍛冶職人の居住区である鍛冶屋村に加え、滝山城下から移転した商業地区の八日市、横山、八幡といった3つの宿場があったと言われています。

■歴史
北条氏康の三男・氏照が1571年(元亀2年)頃より築城し、1587年(天正15年)頃に本拠としました。
氏照は当初、大石氏の滝山城に拠っていましたが、小田原攻撃に向かう甲斐国(現在の山梨県)の武田信玄軍に攻められた際、(廿里古戦場、三増峠の戦い)に滝山城の防衛の限界を感じて本拠を八王子城に移しました。
織田信長の築城した安土城を参考に石垣で固めた山城構築を行っています。

★八王子城合戦
小田原征伐の一環として1590年7月24日(天正18年6月23日)、八王子城は天下統一を進める豊臣秀吉の軍勢に加わった上杉景勝、前田利家、真田昌幸らの部隊1万5千人に攻められました。
城主の氏照以下家臣は小田原本城に駆けつけており、八王子城内には城代の横地監物吉信、家臣の狩野主善一庵、中山勘解由家範、近藤出羽守綱秀らわずかの将兵の他、領内から動員した農民と婦女子を主とする領民を加えた約3000人が立て籠りました。
豊臣側は前夜のうち霧をぬって主力が東正面の大手口(元八王子町)と北側の絡め手(下恩方町)の2方向より侵攻し、力攻めにより早朝には要害地区まで守備隊を追いやりました。
その後は激戦となり1000人以上の死傷者を出し、一時は攻撃の足が止まりましたが、搦め手側別働隊の奇襲が成功し、総崩れの状態となり、その日のうちに城は陥落しました。
落城時に御主殿にいた北条方の婦女子や武将らが滝の上流で自刃し、次々と身を投じたと言われています。
麓の村では城山川の水で米を炊けば赤く米が染まるほどであったと伝えられ、現代でも受け継がれている風習として、先祖供養にあずきの汁で米を炊いた「あかまんま」(すなわち赤飯)を炊くことは、この逸話がもとになっているといわれています。

■見どころ
(遺構)石垣、曲輪、御主殿跡、堀切、井戸、竪堀
(再建)石垣・虎口・引き橋、礎石

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

日本百名城の2城目、八王子城に行ってきました。

八王子城は心霊スポットとして有名でしたが、それ以外ではこれまで興味がなく、行ったことが多分ありません。

休日は高尾駅から1時間に1本バスが出ています。

頑張れば駅から歩ける距離ですし、八王子城址入り口までであれば、たくさんバスがあります。

でも、この休日のバスなら八王子城跡ガイダンス施設まで行ってくれるので楽ちんです。

八王子城址ガイダンス施設はまだ新しいようで非常にきれいです。

そしてここに100名城スタンプが置いてあります。

入場料無料で、中の撮影もOK。昼食を食べれるスペースもあります。

さっそくスタンプを押します。

八王子城の名所、曳橋と石垣。城は無いけど非常に良いスタンプです。

ガイダンス施設には甲冑が置いてありました。

兜が八王子をかたどっていていいですね。

このガイダンス施設でいろいろと学べて、近くにある滝山城との地形の違い等も理解できました。

そして、さっそくお城を見に行きます。

しかし、今回は本丸ではなく御殿のほうに行くことにしました。

子供を連れてきていたので、山城を登るのはなかなか厳しそうなので断念です。

でも、御殿のほうに曳橋や石垣、そして御主殿の滝もあるので、見どころはこちらのほうが多いです。

さすがに正月早々に八王子城に来る人は少ないのか、かなり独占できます。

曲輪からの登り。なかなか趣があります。

そしてそれほど歩かずに曳橋に到着です。

すぐに来れるのにこの景色はすごい!

鉢を渡りながら石垣も堪能できます。

小田原攻めの少し前にできた山城だけあって、石は不揃いです。

それらが幾層にも連なっているのは圧巻です。

橋を渡って振り返りました。

本当の橋はこの柵の場所にあったとか。

石畳の階段。

1段の高さがかなり高いです。

段数はそれほどないのですが、登るのが大変。

そして上った先に門があり、門を潜り抜けると広い広場があります。

ここが御主殿跡です。

建物があった場所に石があります。

かなり広い場所です。

最後は御主殿の滝。

ここは落城時に北条方の婦女子や武将が自刃した場所。

この日は残念ながら水が流れておらず、滝になっていませんでした。

1時間で十分堪能できる八王子城。大満足です。

次は本丸まで行きたいと思います。

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