「浄福寺城」106城目@日本の城 #東京都

■城名
浄福寺城(じょうふくじじょう)

■別名
新城、案下城、松竹城、千手山城

■所在地
東京都八王子市下恩方町

■見ごたえ
★★★

■築城年
至徳元年(1384)?

■廃城年
天正18年(1590)

■築城者
大石信重?

■主な改修者
北条氏

■主な城主
大石氏、北条氏

■城郭構造
連郭式

■城分類
山城

■遺構
曲輪、土塁、堀切、横堀、竪堀

■指定文化財
市史跡

■歴史
浄福寺城(東京都八王子市)は中世の山城で、「新編武蔵風土記稿」によれば大石道俊(大石定久)が築城したとされ、また1384年(至徳元年)に大石信重が築いたとの伝承もある。大石氏は木曾義仲の後裔で、14世紀半ばに信濃から多摩に移住し、地域の有力国衆へと発展。浄福寺城はその拠点の一つであった。

戦国時代、浄福寺城は後北条氏の八王子城の支城として機能したとされ、特に北条氏照が勢力を伸ばす際の拠点だったと考えられる。1590年の豊臣秀吉による八王子城攻めの際に浄福寺城も落城・廃城となった。

永禄2年(1559年)作成の『小田原衆所領役帳』には、「他国衆」の項に「油井領」という地域名が記されており、また北条氏照の発給文書にも「由井衆」「由井領」の記述が見られる。これらは旧大石氏の家臣に関係しており、「由井衆」は旧大石家臣を含む氏照の家臣団で、「油井領」「由井領」は大石氏あるいは氏照の統治下にあったと推定される。

このことから、浄福寺城が「油井城」または「由井城」と呼ばれた後北条氏の支城に比定される可能性がある。研究者・齋藤慎一は、古文書や遺構分析を通じて、大石氏が居した浄福寺城こそが「由井城」であり、氏照も当初ここを本拠とし、永禄6~10年(1563〜1567年)頃に滝山城を築いて本城を移したとの新説を提示している。

この説は、大石氏の伝承に再考を促し、浄福寺城の戦略的・歴史的意義を再評価する契機ともなっている。

■場所

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■城巡り記録

2025年5月18日

恩方にある浄福寺は昔はお城でもあったようです。

ちゃんと説明版がありました。

こちらは大石氏のお城だったみたいですね。

八王子のお城を廻っていると大石氏はよく登場します。

滝川城や由木城など、北条氏が来る前は大石氏が治めていたからですね。

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